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昭和時代初期

【わかりやすく解説】満州事変の背景とは?きっかけとなった満鉄並行線問題・中村大尉事件・万宝山事件

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昭和時代初期
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1931年(昭和6年・辛未)9月18日、日本の歴史を大きく動かすことになる満州事変が始まります。
この事件はなぜ起こったのでしょうか?
実は、その背景にはいくつかの事件や問題が複雑に関わっていたと考えられています。

この記事では、高校生にも分かりやすく、満州事変が起きる直前に発生し、その「きっかけ」とされた3つの重要な出来事、
満鉄並行線問題
中村大尉事件
万宝山事件

について、順を追ってやさしく解説します。

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なぜ「満州」が日本にとって重要だったのか?

最初に、当時の日本がなぜ満州(現在の中国東北部)をとても重視したのか、ポイントをまとめてみましょう。

理由は主に2つに分けられます。

1. 軍事的な理由

日本は、かつて交戦したロシア(当時はソビエト連邦)と直接国境を接するのを避けるため、満州を「緩衝地帯」にしたいと考えていました。
さらに、満州には鉄や石炭などの資源が豊かにあったため、これを自国の工業や軍事に役立てたいという思いも強かったのです。

2. 経済的な理由・国民の暮らしのため

1929年(昭和4年・己巳)からの世界恐慌で、日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に苦しんでいました。
農村では失業や貧困が広がり、特に海外への移民や満州での新しい生活に希望を求める人が増えていました。

そして日本の満州経営の中心にあり、国の利益に大きく関わっていたのが、南満州鉄道株式会社(通称:満鉄)です。

満鉄ってどんな会社?
満鉄は、日露戦争の講和(1905年)によって日本が得た鉄道路線を運営するために作られた国策会社です。
単なる鉄道だけでなく、鉱山、工場、港、ホテル、都市開発まで行う、満州の経済と社会を支えた巨大企業といえます。
そのため日本は、満鉄の権利や利益を何よりも守りたいと考えていました。

一方で中国側では、「外国に奪われた権利を取り戻したい」という思い(国権回復運動)が高まっていました。こうした日本と中国の考えのぶつかり合いが、後で紹介する3つの事件へとつながっていきます。

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満州事変のきっかけとなった3つの事件

1931年(昭和6年・辛未)の夏、満州の地では日本と中国の対立が一気に強くなる重大な出来事が続けて起こりました。

① 鉄道の利権争い「満鉄並行線問題」

日本にとって満州経営の生命線ともいえる満鉄
この会社の権益を巡って起きたのが「満鉄並行線問題」です。

もともと日中の間では、「満鉄の線路とほぼ同じ場所に、競争する中国側の鉄道を引かない」という約束があったとされています。
しかし、満州を実質的に支配していた張学良(ちょうがくりょう)政権が新しく鉄道(いわゆる「並行線」)を建設し始めました。これは中国の権利を主張しようという国権回復運動の表れとも言えます。

満州の地図上で満鉄と中国側の新線が描かれている様子

これに対して、日本側、特に満州駐在の関東軍は「約束に反する」「満鉄の利益が奪われる」と強く反発し、
満州をめぐる緊張が一気に高まることとなりました。

② 日本人将校が殺害された「中村大尉事件」

経済的な対立が続く中、1931年(昭和6年・辛未)6月には命に関わる出来事が起きます。

日本陸軍参謀本部の将校、中村震太郎大尉らは、満州奥地の調査(実際には軍事調査だった可能性も高いと考えられています)に出かけました。
しかし途中で中国側の兵士に捕えられ、スパイと疑われて殺害されてしまいました。

この中村大尉事件が日本国内に伝わると、「中国側が一方的に日本人を殺害した」「遺体も乱暴された」といった報道で世間の反中感情は急激に悪化します。
軍や政治の中でも「強い対応が必要だ」との声が高まりましたが、事件の経緯にはいくつか考え方の違いもあり、軍事調査だったか否かなどは、現在でも議論されています。

③ 農民同士のトラブルが波紋を呼んだ「万宝山事件」

さらに7月には、農民同士の些細なもめごとが大問題へと発展します。

満州の万宝山(まんぽうざん)という場所で、朝鮮半島(当時日本の植民地)から移住してきた朝鮮人農民が水路を作ろうとしたところ、現地の中国人農民と水をめぐる争いが起きました。
双方が口論や小競り合いとなり、「朝鮮人を守る」として日本の警察まで介入。その過程で中国側と衝突することになります。

この万宝山事件自体で大きな犠牲者は出なかったとみられていますが、その後、日本や朝鮮で「多くの朝鮮人農民が殺された」といった記事が出回りました。
これを受けて朝鮮半島では各地で中国人への暴力事件(朝鮮排華事件)が多発し、日中両国の国民感情はいっそう悪化してしまいました。

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まとめ:積み重なった緊張と「武力行使」のきっかけ

このように、1931年(昭和6年・辛未)の満州では
経済的な利権争い(満鉄並行線問題)
軍事的な緊張の高まり(中村大尉事件)
国民感情の対立(万宝山事件)

という問題が積み重なっていました。

こうした事件の連続が、満州の日本陸軍(関東軍)に「武力行使の口実」を与え、ついに満州事変が勃発することになった――と考えられています。

そして1931年9月18日関東軍は自ら満鉄の線路を爆破し(柳条湖事件)、それを中国軍の仕業だとして軍事行動を開始しました。
こうして、長く続く戦争のきっかけとなる満州事変へと流れていきます。


【関連記事】
満州事変後の対応-リットン調査団とリットン報告書-
斎藤実内閣のまとめ-満州国承認と国際連盟脱退-

(このページは高校生向けに満州事変の背景をやさしくまとめた入門記事です。
歴史にはさまざまな見方や説がありますので、より詳しい内容や異なる説については本サイトの他の記事シリーズもあわせてご覧ください。)

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