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平安時代中期

平安時代の国際関係と刀伊の入寇

9世紀から10世紀にかけての東アジアの動乱の結果、日本は積極的な孤立政策をとるようになる。安史の乱などによって荒れ果てた中国には訪れる意味はなく、宋の時代になっても国交は開かれなかった。しかし、民間の貿易は盛んになっていった。  また、女真族が攻めてくるこれを刀伊の入寇という。
イスラーム世界

シーア派の時代-サーマーン朝・ブワイフ朝・ファーティマ朝-

タラス河畔の戦いで唐が中央アジアから撤退したあと、中央アジアのトルコ系遊牧民がイスラーム帝国へと侵入を繰り返した。サーマーン朝建国アッバース朝はイラン系軍人を総督(アミール)として国境においた。しかし、このイラン系軍人が独立してサーマーン朝...
平安時代中期

延喜・天暦の治~醍醐天皇・村上天皇の治世~

公平な人事が行われ、学問が興隆した時代。醍醐天皇の時代延喜の治とは醍醐天皇の治世(897年~930年)を延喜の治という。これは当時の年号の「延喜」をとったもの。延喜という年号は三善清行ふみよしきよゆきによって901年が辛酉の年にあったことか...
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平安時代中期

藤原家の他家排斥と菅原道真の怨霊化

承和の変承和の変の概要842年、嵯峨上皇の死を契機に、恒貞親王つねさだしんのうの部下である橘逸勢たちばなのはやなりと伴健岑とものこわみねが謀叛を企てたとして失脚させられる事件が、承和の変じょうわのへんです。時の天皇は仁明天皇。藤原冬嗣の子・...
平安時代初期

弘仁・貞観文化~建築・彫刻・絵画・書道・教育・漢詩・史書編

密教はを参考にしてください。建築室生寺延暦寺も金剛峰寺も女性の参詣が認められていなかった。そんな中、女性の参詣を認めた寺として、「女人高野」(にょにんこうや)という異名をとった室生寺(むろうじ)が有名。金堂金堂は檜皮葺(ひわだぶき)でできて...
奈良時代

天平文化の特色とは?宗教から社会起業家まで!!

奈良時代の文化を天平文化てんぴょうぶんかといいます。天平文化の概要特徴天平文化(てんぴょうぶんか)は、盛唐文化(せいとうぶんか)の影響をうけたグローバルな文化です。天平文化は聖武天皇の時代の年号にちなんで付けられました。国家仏教鎮護国家「鎮...
奈良時代

藤原仲麻呂(恵美押勝)とその乱と道鏡

大仏開眼供養752年、孝謙天皇(こうけんてんのう)の時代に盧遮那仏(るしゃなぶつ)が完成。開眼供養の盛大な儀式は東大寺大仏殿で催された。大仏開眼供養の開眼導師をつとめたのはインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)。仏教音楽を演奏した僧侶は、林邑僧...
奈良時代

仏教文化大好きな聖武天皇の逃亡遷都の日々と「愛しい」政治-

初期の政治大宝律令や長屋王と藤原四子を参考にしてください。藤原四子の死後の政治藤原四子は天然痘でこの世を去ったあと、皇族出身の橘諸兄(たちばなのもろえ)が政権の実権を握り、唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)と玄昉(げんぼう)を登用した。...
飛鳥時代

遣唐使・遣渤海使と新羅

遣唐使唐の建国唐の建国を参照。遣唐使の変遷最初の遣唐使日本からの遣唐使(けんとうし)は、630年(舒明2年)の犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)の派遣に始まる。犬上御田鍬は614年の第四次遣隋使でもあった。遣唐使の再開遣唐使は702年(大宝二...
奈良時代

元明天皇と平城京遷都

元明天皇は女帝で平城京遷都時、在位していた天皇。藤原京最後の天皇でもある。(在位707~715)元明天皇の即位天智天皇の娘であり、かつ持統天皇の妹であり、草壁皇子の妻であり、文武天皇の母であった元明天皇(げんめいてんのう)が藤原京で即位。元...
飛鳥時代

律令国家の税制

民衆の管理戸籍・計帳政府は、全国の人民を戸籍(こせき)・計帳(けいちょう)に登録することによって、律令体制を末端にまで浸透させようとした。参考内部リンク改新の詔を参考戸籍戸籍は,戸を単位として人民一人一人を詳細に登録したもの。6年毎に作られ...
飛鳥時代

「白鳳文化」特徴・何時代?天皇は誰?仏像の特徴は?なんの影響を受けた?

7世紀後半から8世紀初頭にかけて、天武天皇・持統天皇のやる気にあふれる政治さながら、文化も初唐文化などの外国の影響を受けた活気ある清新な文化。神道と仏教これらの整備・統制により、朝廷は国家の精神的支柱を確立した神祇制度神祇制度は、じんぎせい...
飛鳥時代

天智天皇の時代

天智天皇の即位中大兄皇子は長い間斉明天皇の死後、皇太子のまま政治を行う称制で政務を行っていたが、668年即位して天智天皇(てんじてんのう)となる。新羅の朝鮮統一この年、唐・新羅連合軍は高句麗を滅ぼした。670年から両者は戦争状態に陥る。67...
イスラーム世界

イスラーム帝国の成立と繁栄

"イスラーム帝国"の成立アッバース革命750年、ムハンマドの親戚の子孫であるアブー=アルアッバースがイラン北東部のホラーサーンを拠点に、シーア派の反ウマイヤ運動やマワーリー(アラブ人以外のムスリム)の協力を得て、ウマイヤ朝によるアラブ人支配...
飛鳥時代

白村江の戦いとその後-なぜ、起こった?中大兄皇子は何をした?-

百済の滅亡と再興への野望百済の滅亡朝鮮半島では、655年、高句麗と百済が組んで新羅を攻撃しました。通常、新羅は朝鮮半島東部の小さな国であり、高句麗と百済が挟むと簡単にほろぶはずでした。そこで新羅は唐に助けを求め、唐の高宗は660年、最初に百...
飛鳥時代

大化の改新~改新の詔~

当サイトでは、大化の改新を乙巳の変と改新の詔に分けております。改新の詔の要点は、公地公民制で国土と国民は天皇のものになったこと、国郡里という行政区画を作ったこと、戸籍が作られるようになったことや租庸調をはじめとする税制の変更などがあげられます。
飛鳥時代

大化改新-乙巳の変編-なぜおこった?場所は?流れは?わかりやすく

海外情勢倭国でクーデターが発生したのは、以下の海外情勢が原因です。隋の滅亡と唐の建国くわしくは隋と唐の建国参照してください。高句麗への征伐に何度も失敗したことが財政圧迫の一因となり、618年隋は滅亡し、唐が建国された。舒明天皇は630年に唐...
飛鳥時代

飛鳥文化

飛鳥文化の寺はこちら飛鳥文化の彫刻金銅像が多い。北魏の様式に倣ったものと南梁にならったものとがある。後述する鞍作鳥の作品は北魏の様式である。法隆寺金堂釈迦三尊像作者は鞍作鳥(くらつくりのとり)。鞍作鳥は司馬達等の孫にあたる。この像は顔立ちは...
飛鳥時代

聖徳太子(厩戸王)と遣隋使の派遣-手紙の内容は?小野妹子は?-

倭の五王の遣使が跡絶えた以降中国との交流が絶え、冊封体制から抜けだしていたが、隋に拠る中国統一の結果、倭は対新羅関係を打破しようとした。『隋書』東夷伝倭国条まとめたのは唐の魏徴。遣隋使600年、第一次遣隋使 開皇二十年、倭王あり、姓は阿毎(...
宋の中央集権化

宋代の文化-士大夫が中心となった「ひきこもり」の繁栄の特徴-

宋代の学問・思想宋学(朱子学)経典の字句解釈ばかりだった漢~唐にかけての訓詁学を否定し、代わりに宇宙論や人間論を展開し、同時に知の実践に重んじた新たな儒教学。北宋の周敦頤(しゅうとんい)は太極図説(たいきょくずせつ)を書き、宇宙論からの、道...
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