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古墳時代

4世紀の日本と朝鮮半島

中国では三国時代を経て国内統一に成功した晋が4世紀初めに北方民族(五胡)の侵入を受け、南北朝時代となったころの話。ヤマト政権と朝鮮半島高句麗好太王碑文これは碑石であって文書ではない。石に刻まれた文字。石や金属に刻まれた文を金石文という。高句...
弥生時代

弥生時代の小国の分立~ムラからクニへ~

クニ強力な集落は周辺の集落を武力制圧し、次第にクニと呼ばれる政治的まとまりに発展。集落環濠集落まわりに濠や土塁を張り巡らせた、防御用施設をもつ集落。どうやら地域間で争いがあったようだ。韓国でも環濠集落が見つかっている。九州から関東地方に分布...
宋の中央集権化

宋の社会

形勢戸と官戸と佃戸唐末から台頭してきた宋代の新興地主層は形勢戸と呼ばれ、そのうち官僚を出した特権階級層は官戸という。官戸は戸籍に明記され、差役の免除など役の減免などの特権が一代に限って与えられた。彼らは大土地所有者たちで、彼らの土地を荘園と...
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弥生時代

米から見た弥生人の生活

今回は弥生人の生活について、田圃を中心に見ていきたいと思います。田直播(じかまき)・・・手で投げて播く田植えの方法。書くところがここぐらいしかなかったので、ここに書いた。田の種類湿田弥生時代初期の水田耕作で低湿地を利用して行った田。湿田は排...
弥生時代

弥生文化の成立

弥生文化の成立弥生文化とは紀元前4世紀の初め頃に西日本で成立し、その後、北海道と南西諸島をのぞいた地域に起こった文化。稲作の開始と金属器(青銅器・鉄器)の使用が大きな特徴で前期(紀元前5世紀~紀元前2世紀)中期(紀元前2~紀元後1世紀)後期...
宋の中央集権化

神宗の宰相・王安石の新法~その政策の内容は?~

11世紀後半、財政破綻を克服するため、第6代皇帝神宗(しんそう)は改革を目指した。神宗に登用されて約7年の間、宰相として改革を実施したのが官戸出身の王安石(おうあんせき)。彼は政治家にして唐宋八大家の文人でもある。王安石は「紅一点」という言...
隋・唐時代の繁栄

唐の社会~西域商人の活躍と市場独占と貧富の拡大~

市市は唐代に城郭内の一区画に設けられた商業交易のための地域。長安の東市・西市が有名。市舶司市舶司(しはくし)は玄宗時代に広州に初めて設置された海上貿易管理機関のことである。その機関はその後、泉州、上海などの貿易港に置かれ、官民貿易や渉外、徴...
宋の中央集権化

西夏(せいか)

唐末、黄河が曲がるオルドス地方で発生したチベット系民族がタングート族で東西交通の要衝の地である敦煌を押さえて、その利益で強大化した。初めの頃、太祖(趙匡胤)はオルドス方面に対して、羈縻政策(ゆるくつなぎとめる支配)を行っていたが、982年、...
平安時代初期

弘仁・貞観文化~密教編~

平安時代初期の約100年間の弘仁・貞観文化の時に、密教が隆盛を極める。弘仁・貞観文化とは?弘仁・貞観文化は晩唐の影響を受けた神秘的で暗いイメージ。894年の遣唐使廃止まで。密教桓武天皇の立場桓武天皇は仏教が政治に深く関わることを嫌がり、今ま...
宋の中央集権化

宋の建国と中国統一とその政策

趙匡胤らの中国再統一960年、後周の部将で親衛隊長である節度使・趙匡胤(ちょうきょういん)が人望があり、部下の将兵に推されて、後周の皇帝世宗の死後、遼の侵入の危機の中、恭帝から禅譲されて、宋(北宋)を建国。皇帝(太祖)に即位。大運河と黄河の...
宋の中央集権化

五代十国時代

朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外は...
隋・唐時代の繁栄

南詔(なんしょう)

雲南地方において、唐と吐蕃の間を縫って、7世紀末~8世紀前半に統一された、チベット=ビルマ系の王国。唐文化を取り入れ、漢字を使い、仏教を奨励したが、唐が衰退すると、よく唐の四川地方に侵入して、唐を苦しめた。10世紀初めに内紛によって滅亡。そ...
隋・唐時代の繁栄

吐蕃-強大なチベットの国–新しい文字や仏教を独自に-

吐蕃の建国吐蕃は7世紀にチベットで、ソンツェン・ガンポが建国した国。都はラサで、ポタラ宮殿というチベット仏教と政治の中心となる施設が17世紀に建てられた。吐蕃は強大な山国で、唐に恐怖を与えた。ヴァルダナ朝へ王玄策おうげんさくを使者に出し、友...
隋・唐時代の繁栄

渤海(ぼっかい)

698年、中国東北部において、高句麗の遺民大祚栄(だいそえい)がツーグース系靺鞨(まっかつ)族を統一し建国。震(しん)国と名載っていたが、713年唐に朝貢して渤海郡王に封ぜられた結果、渤海と称した。都は中国風の上京竜泉府(じょうきょうりゅう...
隋・唐時代の繁栄

唐の絵画

唐初の閻立本(えんりっぽん)は、歴代帝王図巻など人物画で有名。玄宗期には細密華麗な色彩の山水画を描いた李思訓(りしくん)と、仏画の山水画で知られる呉道玄(ごどうげん)は線の太さで立体感を表現する新しい技法を作った。詩人としても有名な王維は「...
隋・唐時代の繁栄

唐の書道

書道唐では書芸が大切に扱われ、科挙でも筆跡が重要視された。唐初は六朝時代の王羲之(おうぎし)の書風が重要視され、これを伝播する欧陽詢(おうようじゅん)と虞世南(ぐせいなん)は太宗に招かれて、貴族の子供や兄弟に、楷法を伝授した。この2人に褚遂...
隋・唐時代の繁栄

唐の文学

唐の時代は盛んに唐詩が作られる。初唐六朝時代を受け継いで、優雅なな作品が好まれた。文章形式は四六駢儷体が尊重されたが自由な形式も見られるようになった。盛唐詩仙と称される天才・李白(りはく)や詩聖と称される秀才・杜甫(とほ)が代表的である。2...
隋・唐時代の繁栄

隋唐時代の宗教

儒教魏晋南北朝時代はそんなに発展しなかったが、科挙が始まると、これまで行われてきた訓詁学を整理する必要性が出てきた。こうした中、太宗の指示を受け、孔頴達(くようだつ/こうえいたつ)は公定注釈書である「五経正義(ごきょうせいぎ)」を編纂した。...
隋・唐時代の繁栄

唐の衰退と滅亡

安史の乱とその後の混乱節度使の反抗安史の乱に際して、唐朝は藩鎮(はんちん)をくまなく配置して、各地域の防衛の任に就かせた。長安陥落により門閥貴族は没落。門閥貴族は官人営業田という名目で広大な私有地を持っていたが、武官の節度使は計算が苦手だっ...
隋・唐時代の繁栄

2人の女性による唐の混乱(武韋の禍)

則天武后の政治7世紀末則天武后(そくてんぶこう)(武則天ぶそくてん)(位690~705)は,太宗の後宮(こうきゅう/皇妃が住む場所)に入り、655年に高宗の皇后となり、高宗の晩年には代わって政務を行うようになった。高宗の死後、すでに即位させ...
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