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戦前の昭和時代

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昭和時代初期

なぜ「海軍の粛清」は起きた?北一輝が授けた”魔法の杖”と昭和史の転換点

はじめに:条約の先に待っていた「理不尽」ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、日本中を揺るがした「統帥権干犯問題」。政府と海軍、そして海軍内部における「条約派」と「艦隊派」による大喧嘩は、浜口雄幸内閣による条約批准という形でいったんの終結を見たよう...
昭和時代初期

統帥権干犯問題とは?ロンドン海軍軍縮条約が軍部の暴走を招いた理由を解説

はじめに:軍縮条約が火をつけた憲政の危機1929年(昭和4年・己巳)10月24日、ニューヨーク株式市場の暴落、すなわち世界的大恐慌が発生し、やがて昭和恐慌として日本の経済にも甚大な影響が広がっていきます。国家財政の逼迫と国際社会の不安定化の...
昭和時代初期

西園寺公望はなぜ豹変した?昭和天皇と「君臨すれども統治せず」の原点

はじめに:天皇の激怒が招いた政変1928年の張作霖爆殺事件(満州某重大事件)は、関東軍の暴走というだけでなく、その後の日本の政治を根底から揺るがす重大な転換点となりました。陸軍の責任を曖昧にした田中義一首相の報告に対し、若き昭和天皇は「前言...
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昭和時代初期

張作霖爆殺事件の結末|昭和天皇の激怒と田中義一内閣の総辞職

1928年に発生した張作霖爆殺事件(満州某重大事件)は、近代日本史の中でも特に重大な転機とされます。この事件は、「満州某重大事件」の名で当時の新聞を賑わせましたが、調査が進むにつれ、首謀者は関東軍の参謀・河本大作大佐であった可能性が高いとす...
昭和時代初期

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)とは?関東軍の暴走と田中内閣崩壊の真相をわかりやすく解説

昭和初期――日本史の中で、後の戦争へと続く激動の時代が幕を開けます。当時の新聞は、中国大陸で突如発生した事件を「満州某重大事件」という謎めいた語で報じました。その陰には、陸軍内部の暴走、暗殺、政界をも揺るがす隠蔽劇という、サスペンスドラマさ...
軍国主義の時代

第二次ノモンハン事件

第23師団の攻撃部隊が撤退すると、ハルハ河両岸のソ連・外モンゴル軍の防衛陣地はだんだんと強くされていって、兵力も少しずつ増やされていくと見られました。小松原師団長は、このような状況を満州を統括している関東軍んい「報告」し、第23師団軍はその...
軍国主義の時代

東條英機内閣は「何を」したか?

ここで、陸軍大臣を歴任してきた、東條英機が内閣総理大臣として登場します。東條英機は内大臣・木戸幸一の推挙で総理大臣になりました。帝国国策遂行要領アメリカからハル長官からハル・ノートで回答を得ました。満州を含む中国大陸、フランス領インドシナか...
昭和時代初期

【年表】浜口雄幸内閣とは?金解禁とロンドン海軍軍縮条約の2年間をわかりやすく解説

昭和初期、日本は経済の混乱と国際社会の大きな変化の波に揺さぶられていました。1929年(昭和4年・己巳)、陸軍の一部が主導した張作霖爆殺事件をきっかけに田中義一内閣が総辞職。その後に生まれたのが、浜口雄幸(はまぐち おさち)を首班とする立憲...
軍国主義の時代

大東亜会議

太平洋戦争が進んだ中で、日本は1943年、親日的な勢力圏である国々のリーダーを東京に集めて大東亜会議を開催しました。大東亜会議では、大東亜共同宣言を採択し、太平洋戦争の遂行目的が「大東亜共栄圏の建設」であることを確認しました。そして、親日的...
軍国主義の時代

翼賛選挙(1942年)

太平洋戦争のさなか、日本では民主主義的な選挙が行われます。https://歴史総合.com/%e5%a4%aa%e5%b9%b3%e6%b4%8b%e6%88%a6%e4%ba%89/この太平洋戦争の惨禍の最中で行われた選挙を、翼賛選挙とい...
軍国主義の時代

太平洋戦争(1941年-1945年) ハワイ真珠湾攻撃→香港占領→マニラ占領→シンガポールの英軍降伏→ラングーン占領→ミッドウェー海戦→ガダルカナル島の戦い→アッツ島の戦い→インパール作戦→マリアナ沖海戦→サイパンの戦い→レイテ沖海戦→

太平洋戦争太平洋戦争のはじまり1941年12月8日、大日本帝国陸軍のマレー半島上陸作戦大日本帝国海軍のハワイ真珠湾攻撃によって、日本はアメリカに対して奇襲宣戦を行いました。アメリカは騎士道精神の国であり、スポーツマンシップに乗っ取らない宣戦...
軍国主義の時代

『帝国国策遂行要領』(1941)とハル・ノートと最後通牒-日米決戦前夜-

東條英機内閣が成立しています。東條氏といえば、安房東條氏の流れを引く血筋で、阿波国にも阿波南部に東條氏という豪族がいました。帝国国策遂行要領1941年11月5日の昭和天皇の御前で行われた会議である御前会議で、12月初旬にアメリカに対して武力...
軍国主義の時代

南部仏印進駐(1941年)と第3次近衛文麿内閣

第3次近衛文麿内閣が帰ってきました。正直、21世紀の日本の首相である岸田文雄と近衛文麿にはいくつか共通点が多いと感じています。近衛文麿もまた、世襲議員であり、貴族階級出身の議員でありです。南部仏印進駐第3次近衛文麿内閣の時に、南部仏印進駐を...
軍国主義の時代

ABCD包囲網(包囲陣)と対日経済封鎖の歴史:南部仏印進駐から真珠湾攻撃へ

1930年代後半から1940年代にかけて、日本に対して行われた経済制裁や経済封鎖のことを「ABCD包囲網」といいます。近衛文麿内閣が南部仏印進駐を決定したことなどで日本は世界から非難を浴び、アメリカを中心とした国々から厳しい経済封鎖を受ける...
軍国主義の時代

皇民化政策-本土以外の日本人化政策-

欧米人は言いました。「その国を支配したいなら言葉と文字を奪いなさい」と言いました。そして「インフラは破壊し尽くせ」とも言いました。今回は、朝鮮半島についての同化政策について見ていきます。皇民化政策に至るまでの朝鮮経営大日本帝国時代の朝鮮経営...
軍国主義の時代

第二次世界大戦の日本の国民の生活の様子と変化と影響

大日本帝国では、日中戦争が長引くと、国民生活は大幅な切り詰めが求められました。大日本帝国の臣民たちは、今まで負け知らずの日本の対外戦争で調子に乗っていたこともありました。今まで日清戦争、義和団事件、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵と、...
軍国主義の時代

ソ連との戦争準備『帝国国策要綱』『関東軍特種演習』

日本はドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んでいたため、ドイツは対米戦を意識していると思い込んでいました。事実、日本はソ連と日ソ中立条約を結びましたね。ですが、ドイツはイギリスとの戦闘中に攻めるところがなくなった陸上部隊をソ連に派遣し、独ソ戦を...
軍国主義の時代

日ソ中立条約とその目的は?内容は?なぜ?をわかりやすく

日独伊三国軍事同盟が結ばれた中、日本はドイツは対ソヴィエトよりも対アメリカを意識していると思い込み、1941年、日ソ中立条約を結びました。日本側の日ソ中立条約の目的日本側の日ソ中立条約の目的は、ソ連を敵のままおいておくことよりもソ連と中立化...
軍国主義の時代

第二次近衛内閣の成立と日独伊三国軍事同盟

ドイツ礼賛の動きが活発化していったのであります。そのような中で大戦不介入の方針を大転換して、ドイツと軍事同盟を結び、フランス領インドシナなど南方に進出し、日本の勢力圏におこうとしたのであります。米内光政内閣の倒閣と第二次近衛内閣の成立陸軍の...
軍国主義の時代

南京政府-汪兆銘による傀儡新国民政府-

近衛文麿の東亜新秩序の建設声明第1時近衛文麿内閣が日中戦争の目的を東亜新秩序の建設にあることを声明に出しました。これが近衛声明として以前お伝えしました。汪兆銘の呼応この東亜新秩序の声明に応じたのが、国民政府の要人が汪兆銘だった。重慶から汪兆...
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