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藤原

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平安時代後期

平氏没落を早めた「鹿ヶ谷の陰謀」

以前、平氏政権の全盛~この一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし~で平氏が官職の独占によって、全国の支配をはかりました。しかし、独占によって、旧勢力である追いやられた公家勢力から強い反発を受けることになります。建春門院の死去平清盛の妻の姉妹で...
平安時代後期

仏教の衰退と大寺院の僧兵による荘園争奪戦

白河上皇の天下三不如意の中には、山法師というのが入っていました。これは延暦寺の僧兵だといいました。つまり、天台宗の総本山延暦寺でさえ、僧兵を使ってでも、収入をとりもどさなければならないほど、仏教的な権威が衰退していたということです。今回は、...
平安時代中期

悪吏

悪吏とは受領(ずりょう)の中で、巨利をあげるために強欲な振る舞いを行った人。任地で郡司や有力農民から暴政を訴えられるケースがしばしばあった。大宰大弐(だざいだいに)藤原惟憲(ふじわらのこれのり/963~1022)「随身の珍宝はその数を知らず...
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平安時代中期

平安中期の地方政治の混乱~荘園の爆増と国司の行政官→徴税請負人への変質~

荘園制度編荘園とは地方豪族や有力農民が、9世紀後半までに院宮王臣家と組んで、開墾した自らの田(墾田)のこと。荘園をどんどん増やしていった。荘園の変遷初期荘園(墾田地系荘園)8世紀から9世紀にかけての荘園を初期荘園といいます。初期荘園は墾田地...
平安時代中期

平安時代の国際関係と刀伊の入寇

9世紀から10世紀にかけての東アジアの動乱の結果、日本は積極的な孤立政策をとるようになる。安史の乱などによって荒れ果てた中国には訪れる意味はなく、宋の時代になっても国交は開かれなかった。しかし、民間の貿易は盛んになっていった。  また、女真族が攻めてくるこれを刀伊の入寇という。
平安時代中期

内訌時代と藤原道長・藤原頼通の時代

内訌時代安和の変によって他氏排斥が完了しました。(内部リンク:藤原氏の他氏排斥を参考)藤原氏で上位の官位を独占したあと、身内同士で対立がおこる。内訌というのは内部対立という意味。藤原北家の内部で主導権を巡る争いが起こったわけである。「氏の長...
平安時代中期

承平・天慶の乱〜平将門の乱と藤原純友の乱〜

承平天慶の乱は、平将門の乱と藤原純友の乱の2つを年号にちなんで名付けられた名前です。中央政府の軍事力の低下や無力さを暴露するとともに、地方武士の実力を朝廷に知らしめた事件といえます。
平安時代中期

延喜・天暦の治~醍醐天皇・村上天皇の治世~

公平な人事が行われ、学問が興隆した時代。醍醐天皇の時代延喜の治とは醍醐天皇の治世(897年~930年)を延喜の治という。これは当時の年号の「延喜」をとったもの。延喜という年号は三善清行ふみよしきよゆきによって901年が辛酉の年にあったことか...
平安時代中期

藤原家の他家排斥と菅原道真の怨霊化

承和の変承和の変の概要842年、嵯峨上皇の死を契機に、恒貞親王つねさだしんのうの部下である橘逸勢たちばなのはやなりと伴健岑とものこわみねが謀叛を企てたとして失脚させられる事件が、承和の変じょうわのへんです。時の天皇は仁明天皇。藤原冬嗣の子・...
平安時代初期

弘仁・貞観文化~建築・彫刻・絵画・書道・教育・漢詩・史書編

密教はを参考にしてください。建築室生寺延暦寺も金剛峰寺も女性の参詣が認められていなかった。そんな中、女性の参詣を認めた寺として、「女人高野」(にょにんこうや)という異名をとった室生寺(むろうじ)が有名。金堂金堂は檜皮葺(ひわだぶき)でできて...
平安時代初期

嵯峨天皇の政策-平城太上天皇の乱(薬子の変)と蔵人頭の設置-

平城太上天皇の変・薬子の変・奈良坂の戦い平城上皇の重祚をはかって失敗に終わった事件。変の概要平城天皇の譲位諸国の役人をチェックするための役人として観察使という令外官を置いたことで知られる、桓武天皇の子・平城天皇(へいぜいてんのう)は809年...
奈良時代

天平文化の特色とは?宗教から社会起業家まで!!

奈良時代の文化を天平文化てんぴょうぶんかといいます。天平文化の概要特徴天平文化(てんぴょうぶんか)は、盛唐文化(せいとうぶんか)の影響をうけたグローバルな文化です。天平文化は聖武天皇の時代の年号にちなんで付けられました。国家仏教鎮護国家「鎮...
奈良時代

藤原仲麻呂(恵美押勝)とその乱と道鏡

大仏開眼供養752年、孝謙天皇(こうけんてんのう)の時代に盧遮那仏(るしゃなぶつ)が完成。開眼供養の盛大な儀式は東大寺大仏殿で催された。大仏開眼供養の開眼導師をつとめたのはインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)。仏教音楽を演奏した僧侶は、林邑僧...
奈良時代

仏教文化大好きな聖武天皇の逃亡遷都の日々と「愛しい」政治-

初期の政治大宝律令や長屋王と藤原四子を参考にしてください。藤原四子の死後の政治藤原四子は天然痘でこの世を去ったあと、皇族出身の橘諸兄(たちばなのもろえ)が政権の実権を握り、唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)と玄昉(げんぼう)を登用した。...
奈良時代

藤原不比等と藤原四子

藤原不比等中臣鎌足の子の藤原不比等(ふじわらのふひと)は、奈良時代初期に権勢を振るい、元明天皇の時代に平城京遷都を主導したのも彼である。皇族継承を巡って、娘の宮子(みやこ)を文武天皇の夫人に嫁がせ、その間に生まれた皇子(聖武天皇/しょうむて...
飛鳥時代

遣唐使・遣渤海使と新羅

遣唐使唐の建国唐の建国を参照。遣唐使の変遷最初の遣唐使日本からの遣唐使(けんとうし)は、630年(舒明2年)の犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)の派遣に始まる。犬上御田鍬は614年の第四次遣隋使でもあった。遣唐使の再開遣唐使は702年(大宝二...
奈良時代

元明天皇と平城京遷都

元明天皇は女帝で平城京遷都時、在位していた天皇。藤原京最後の天皇でもある。(在位707~715)元明天皇の即位天智天皇の娘であり、かつ持統天皇の妹であり、草壁皇子の妻であり、文武天皇の母であった元明天皇(げんめいてんのう)が藤原京で即位。元...
飛鳥時代

わが国における律令国家のしくみ~大宝律令の完成~

大宝律令の完成息子が早世した持統天皇(じとうてんのう)は、孫の文武天皇(もんむてんのう)に譲位し、藤原京での即位後、持統太上天皇(ーだいじょうー)と藤原不比等(ふじわらのふひと)主導のもと、刑部親王(くさかべしんのう)を総裁として、新たなな...
飛鳥時代

「白鳳文化」特徴・何時代?天皇は誰?仏像の特徴は?なんの影響を受けた?

7世紀後半から8世紀初頭にかけて、天武天皇・持統天皇のやる気にあふれる政治さながら、文化も初唐文化などの外国の影響を受けた活気ある清新な文化。神道と仏教これらの整備・統制により、朝廷は国家の精神的支柱を確立した神祇制度神祇制度は、じんぎせい...
飛鳥時代

持統天皇の時代-飛鳥浄御原令・藤原京遷都・庚寅年籍-

持統天皇じとうてんのうの時代(690年~697年)の話についてまとめていきます。持統天皇の即位とその背景天武天皇てんむてんのうの死後、皇后の鸕野讃良皇女うののさららのひめみこ/おうじょは、称制(即位せず、政務を行うこと)をして、自らの子で皇...
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