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平安時代中期

承平・天慶の乱〜平将門の乱と藤原純友の乱〜

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平安時代中期
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背景と関連用語

桓武平氏

桓武平氏(かんむへいし)桓武天皇の曾孫で
東国に早くから土着した高望王(たかもちおう)
平姓(たいらー)を与えられたことから始まります。
桓武平氏は関東で一大勢力をまず築いていきます。
高望王は上総介となりました。

「東国」

では、その桓武平氏の土着の地、
「東国」とはどんな土地だったのでしょうか?
万葉集では、
「東国」「あずま」とよみ、
枕詞は「鶏が鳴く」でした。
「鶏が鳴く」というのは、
朝廷のある
畿内の上方の人たちにとっては、
東国の方言はわかりにくいという、
ちょっとした差別意識もふくまれています。
東大寺諷誦文稿とうだいじふじゅもんこうでは、
「東国の方言」や「毛人の方言」、
「飛騨の方言」は、
侮蔑の対象としてみられていました。
そんな貴族たちが
東国を蔑視するのは、
東国の武力が優れていたため
貴族が東国の力を恐れたためだとも考えられます。
続日本紀にも、

「東国の人は、
額に矢が立つことはあっても、
背中には立たず」

『続日本紀』神護景雲3年(769年)

と書かれています。
これは、東国の兵士は、
敵に背中を向けるようなことはない
という勇敢さをたたえた文章になっています。
そのため、畿内の貴族は、
東国の民を恐れたのです。
東国武士として有名なのは、
防人(さきもり)が代表的です。
そんな畿内に抑圧された
東国の人たちは、
乱をおこすことになります。

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承平・天慶の乱

以下の朱雀天皇の時代に起きた
2つの乱を合わせて、
年号にちなんで
承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)といいます。
平将門の乱藤原純友の乱ともいわれます。

承平天慶の乱は、
中央政府の軍事力の低下や無力さを暴露するとともに、
地方武士の実力を朝廷に知らしめた事件といえます。

平将門の乱

東国でおこったのが、平将門の乱たいらのまさかどのらんです。

平将門の乱~いつ?なぜ?どこで?誰に鎮圧された?を解決~ | 歴史総合ドットコム
平将門とは? 平将門の血筋  平将門は、桓武天皇の血を引く高貴な血筋です。  平将門の祖父は高望王ですが、高望王は桓武天皇のひ孫にあたります。高望王は「平」を賜って臣籍降下で関東の上総国(現在の千葉県の中部の東西一帯)の国司を務めました。

平将門たいらのまさかどは下総国猿島を拠点に、
婚姻問題と所領問題で内紛が発生していました。

そうして、伯父の平国香たいらのくにかを殺害し、
乱を拡大しました。

平将門は、関東地方の国府を襲って、
印鑑を奪い、小さな律令国家を作ろうとしました。

そうするうちに、自らを桓武天皇の子孫であることを理由に、
新皇しんのうを自称します。

平国香の子・平貞盛と、
藤原秀郷らによって、
乱は鎮圧されました。

藤原純友の乱

乱の発生

939年、伊予国(現在の愛媛県)の元伊予掾(いよのじょう)、
つまり国司の地位であった藤原純友(ふじわらのすみとも)
任期を終えても都に戻ることはありませんでした。

地元民の苦しい生活を聞き入れた藤原純友
そのまま伊予国日振島(ひぶりじま)を拠点に
瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こしました。

これが藤原純友の乱です。

伊予国の国府を奪い、
西は大宰府から東は淡路島まで攻略しています

乱の鎮圧

朝廷の命により藤原忠文
今度は征西代将軍として、西国へ派遣されます。

しかし、今回も小野好古(おののよしふる)
清和源氏の祖・源経基(みなもとのつねもと)らによって
藤原純友は討死してしまいます。
藤原忠文はどちらの乱にも派遣されましたが、
仕事を先にとられてしまいました。
早く仕事しないと、
仕事をとられてしまうということですね。

承平・天慶の乱の収束後

朝廷や貴族たちは武士を
積極的に侍として
用いるようになりました。
また地方の武士を
館侍(たちざむらい)
国侍(くにざむらい)
として
国司のもとに組織するようにります。

「国の内の然るべき兵ども」「館のものども、国の兵ども」
                       ~館侍・国侍について~『今昔物語集』

さらには、
諸国の追捕使(ついぶし)
押領使(おうりょうし)武士を任命して、
治安維持を分担させるようになりました。

追捕使は、
盗賊や反乱者を追捕するため
派遣されるもの。
押領使は、
内乱などの際に、
兵士を統率するものです。
追捕使や押領使はどちらも
しだいに全国の多くの国に
置かれていきました。

その結果、
刀伊の入寇の際にも、
大宰府権帥・藤原隆家主導のもと、
地方武士がよく組織されていたので、
撃退することができました

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参考文献

[amazonjs asin=”4642063145″ locale=”JP” title=”平将門の乱 (戦争の日本史4)”]

コメント

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