1929年(昭和4年・己巳)、アメリカで始まった世界恐慌は瞬く間に世界中へ広がり、日本経済にも重大な打撃を与えました。
これがいわゆる昭和恐慌です。
日本では、多くの工場が閉鎖し、人々が仕事を失いました。
企業は生き残るために無理な値下げ競争を続け、結果として自分たちの首をしめるような状況となりました。
こうした深刻な不況に直面した政府は、景気を立て直し企業を守るため、特別な法律をつくります。
それが
重要産業統制法とは―企業の「カルテル」を国が認めた法律
この法律で一番のポイントは、カルテルの結成を国が認め、保護した点です。
そもそも、カルテルとは何でしょうか?
カルテルとは、同じ業種の会社同士が「もう値下げ競争はやめよう」「生産量を調整して、商品が安くなりすぎないようにしよう」と約束を結ぶことです。
これは企業どうしが話し合って取り決める「談合」にあたり、普通は公正な競争を妨げるため法律で禁止されています(独占禁止法など)。
ですが、企業の共倒れを防ぐ必要がある緊急時には、特例としてカルテルが認められることもあります。詳細は[独占資本主義](https://xn--mprwb863iczq.com/%e7%8b%ac%e5%8d%a0%e8%b3%87%e6%9c%ac%e4%b8%bb%e7%be%a9/)も参照してください。
このように、重要産業統制法は、行き過ぎた競争による企業の体力低下を抑え、安定してモノが供給される社会を目指しました。
政府が主導で生産量や価格を調整し、全体の経済を守ろうとしたのです。
この法律ができた背景には、昭和恐慌と、そのきっかけのひとつとされる、【年表】浜口雄幸内閣とは?金解禁とロンドン海軍軍縮条約の2年間をわかりやすく解説による「金解禁」という金融政策の影響が挙げられています。
世界の景気が悪化していく中で日本は金解禁を行い、不況がより深刻になったとも考えられています。
産業構造の大転換|軽工業から重化学工業の時代へ
重要産業統制法が成立した
それが満州事変です。

この満州事変をきっかけに、日本の軍事行動や対外進出が拡大し、兵器や弾薬などの軍需が急増します。
これには、鉄や機械、化学製品など重化学工業で作られる素材が大量に必要でした。
それまでの日本経済は、生糸や綿織物など軽工業中心でしたが、政府の保護や軍需の増大を背景に、今度は重化学工業が急速に成長する時代へとシフトしていきます。
この結果、
これは、日本社会が「軽工業の国」から「重化学工業の国」へと大きく変わった証しとなりました。
まとめ
重要産業統制法は、昭和恐慌というかつてない経済危機に政府が対応するために制定された法律です。
カルテルという企業同士の協定を認めることで、必要以上の競争を防ぎ、企業の倒産を減らすことが主な目的でした。
さらにこの法律は、満州事変による軍需の拡大と組み合わさり、日本の産業構造を軽工業中心から重化学工業中心へと大きく転換させました。
この動きは、その後の戦時経済体制や高度経済成長の要因とその流れにもつながり、日本経済史の大きなターニングポイントの一つとされています。
※本記事の内容は広く一般に知られる定説および教科書的な説明を平易にまとめたものです。
より詳しい議論や異なる説については、当サイトの大学生以上向けの専門記事をご覧ください。
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