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古代インド・東南アジア

消滅した民族「ピュー人」

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紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(チュルと自称)都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。

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ピュー人

ピュー人はエーヤワディー川辺のプローム地方を中心に生活していた族です。

 

ビルマで最初のインド文明の影響を受けた遺跡は
ュリーシェートラ遺跡です。
その証拠に仏典の破片が見つかりました。

中国の僧侶・奘と義浄はその都市国家を
室利差(察)咀羅」と記録していました。

ピュー人の消滅

そこそこ発展していたピュー人の国は中国雲南地方に興った南詔国から攻撃を受け、832年に首都が焼き払われてしまった。住人3000人が捕虜として今の昆明へと強制移住させられた。その後、ピュー人の行方はわかっていない。
ミャンマー人(ビルマ人)南詔に服していたが、
していって、ピュー人やモン人を追い出したり、吸収したりした。

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9世紀後半からパガン朝のアーヤター王登場までの200年間のことがわかっていない。

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