平安時代後期仏教の衰退と大寺院の僧兵による荘園争奪戦 白河上皇の天下三不如意の中には、山法師というのが入っていました。これは延暦寺の僧兵だといいました。つまり、天台宗の総本山延暦寺でさえ、僧兵を使ってでも、収入をとりもどさなければならないほど、仏教的な権威が衰退していたということです。今回は、... 2020.06.09平安時代後期
平安時代中期平安時代の国際関係と刀伊の入寇 9世紀から10世紀にかけての東アジアの動乱の結果、日本は積極的な孤立政策をとるようになる。安史の乱などによって荒れ果てた中国には訪れる意味はなく、宋の時代になっても国交は開かれなかった。しかし、民間の貿易は盛んになっていった。 また、女真族が攻めてくるこれを刀伊の入寇という。 2019.12.15平安時代中期
平安時代初期弘仁・貞観文化~建築・彫刻・絵画・書道・教育・漢詩・史書編 密教はを参考にしてください。建築室生寺延暦寺も金剛峰寺も女性の参詣が認められていなかった。そんな中、女性の参詣を認めた寺として、「女人高野」(にょにんこうや)という異名をとった室生寺(むろうじ)が有名。金堂金堂は檜皮葺(ひわだぶき)でできて... 2020.05.23平安時代初期
奈良時代天平文化の特色とは?宗教から社会起業家まで!! 奈良時代の文化を天平文化てんぴょうぶんかといいます。天平文化の概要特徴天平文化(てんぴょうぶんか)は、盛唐文化(せいとうぶんか)の影響をうけたグローバルな文化です。天平文化は聖武天皇の時代の年号にちなんで付けられました。国家仏教鎮護国家「鎮... 2026.02.17奈良時代
奈良時代藤原仲麻呂(恵美押勝)とその乱と道鏡 大仏開眼供養752年、孝謙天皇(こうけんてんのう)の時代に盧遮那仏(るしゃなぶつ)が完成。開眼供養の盛大な儀式は東大寺大仏殿で催された。大仏開眼供養の開眼導師をつとめたのはインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)。仏教音楽を演奏した僧侶は、林邑僧... 2020.07.25奈良時代
奈良時代仏教文化大好きな聖武天皇の逃亡遷都の日々と「愛しい」政治- 初期の政治大宝律令や長屋王と藤原四子を参考にしてください。藤原四子の死後の政治藤原四子は天然痘でこの世を去ったあと、皇族出身の橘諸兄(たちばなのもろえ)が政権の実権を握り、唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)と玄昉(げんぼう)を登用した。... 2020.07.26奈良時代
平安時代初期弘仁・貞観文化~密教編~ 平安時代初期の約100年間の弘仁・貞観文化の時に、密教が隆盛を極める。弘仁・貞観文化とは?弘仁・貞観文化は晩唐の影響を受けた神秘的で暗いイメージ。894年の遣唐使廃止まで。密教桓武天皇の立場桓武天皇は仏教が政治に深く関わることを嫌がり、今ま... 2020.04.10平安時代平安時代初期
平安時代初期桓武天皇と長岡京と平安京の確立 桓武天皇の治世桓武天皇の即位光仁天皇の皇太子には、天武天皇系の親王である井上内親王とその子他戸親王が立ったが、藤原百川の暗躍により、光仁天皇と百済系で位の低い高野新笠(たかののにいがさ)との間に生まれた山部親王(やまべしんのう)が781年に... 2022.10.13平安時代平安時代初期
隋・唐時代の繁栄隋唐時代の宗教 儒教魏晋南北朝時代はそんなに発展しなかったが、科挙が始まると、これまで行われてきた訓詁学を整理する必要性が出てきた。こうした中、太宗の指示を受け、孔頴達(くようだつ/こうえいたつ)は公定注釈書である「五経正義(ごきょうせいぎ)」を編纂した。... 2020.04.24隋・唐時代の繁栄
魏晋南北朝北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで 北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代... 2020.06.11魏晋南北朝
古代インド・東南アジア消滅した民族「ピュー人」 1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に... 2020.07.13古代インド・東南アジア