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朝貢

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イスラーム世界

後ウマイヤ朝

後ウマイヤ朝の成立アブド・アッラフマーン1世750年のアッバース朝の建国後、第10代ウマイヤ朝カリフ・ヒシャームの孫のアブド・アッラフマーン1世はアッバース朝によるウマイヤ家の王族が殺害されていたが、それを逃れて名前を変えてパレスチナ→エジ...
飛鳥時代

聖徳太子(厩戸王)と遣隋使の派遣-手紙の内容は?小野妹子は?-

倭の五王の遣使が跡絶えた以降中国との交流が絶え、冊封体制から抜けだしていたが、隋に拠る中国統一の結果、倭は対新羅関係を打破しようとした。『隋書』東夷伝倭国条まとめたのは唐の魏徴。遣隋使600年、第一次遣隋使 開皇二十年、倭王あり、姓は阿毎(...
古墳時代

4世紀の日本と朝鮮半島

中国では三国時代を経て国内統一に成功した晋が4世紀初めに北方民族(五胡)の侵入を受け、南北朝時代となったころの話。ヤマト政権と朝鮮半島高句麗好太王碑文これは碑石であって文書ではない。石に刻まれた文字。石や金属に刻まれた文を金石文という。高句...
弥生時代

邪馬台国連合

3世紀の日中関係晋の陳寿が編纂した「三国志」『魏書』東夷伝倭人条(とういでんわじんのじょう)(魏志倭人伝)によると、約30の小国の連合体が倭に存在し、中国に朝貢を行っていた。ちなみに三国とは魏呉蜀のことである。邪馬台国倭で約30カ国の盟主と...
弥生時代

弥生時代の小国の分立~ムラからクニへ~

クニ強力な集落は周辺の集落を武力制圧し、次第にクニと呼ばれる政治的まとまりに発展。集落環濠集落まわりに濠や土塁を張り巡らせた、防御用施設をもつ集落。どうやら地域間で争いがあったようだ。韓国でも環濠集落が見つかっている。九州から関東地方に分布...
隋・唐時代の繁栄

渤海(ぼっかい)

698年、中国東北部において、高句麗の遺民大祚栄(だいそえい)がツーグース系靺鞨(まっかつ)族を統一し建国。震(しん)国と名載っていたが、713年唐に朝貢して渤海郡王に封ぜられた結果、渤海と称した。都は中国風の上京竜泉府(じょうきょうりゅう...
魏晋南北朝

北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで

北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代...
古代中国文明

後漢(赤眉の乱から黄巾の乱)光武帝と和帝。成立から滅亡まで

光武帝の時代後漢の建国漢一族で武帝の弟のしそんである劉秀(りゅうしゅう)が赤眉の乱(せきびのらん)を平定し、25年後漢(こうかん)を成立させた。漢帝国の復活である。光武帝(こうぶてい)は200年の安定の基礎を築いた。戦乱で荒廃した長安ではな...
古代インド・東南アジア

海上の覇者:シュリーヴィジャヤ王国と港市国家の興亡

7世紀から13世紀にかけて、マラッカ海峡を中心に東南アジアの海上交易を支配したシュリーヴィジャヤ王国。その実態は、強大な領土を持つ帝国というよりは、有力な港町がネットワークを形成して成り立つ**「港市国家(こうしこっか)」**の連合体でした...
古代インド・東南アジア

スコータイ王朝の建国から滅亡まで~首都は?場所はタイ?~

タイ系諸族ベトナム北部からビルマ東北部にかけて住んでいる。歴史的背景南詔国とタイ系民族の南下7世紀半ば頃より、南詔国の都・大理周辺で暮らしていたとされるが、その辺りより東南アジアに南下し、バーンと呼ばれる小さな村落を作っていた。その後、バー...
古代インド・東南アジア

消滅した民族「ピュー人」

1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に...
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