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チベット

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宋の中央集権化

西夏(せいか)

唐末、黄河が曲がるオルドス地方で発生したチベット系民族がタングート族で東西交通の要衝の地である敦煌を押さえて、その利益で強大化した。初めの頃、太祖(趙匡胤)はオルドス方面に対して、羈縻政策(ゆるくつなぎとめる支配)を行っていたが、982年、...
隋・唐時代の繁栄

南詔(なんしょう)

雲南地方において、唐と吐蕃の間を縫って、7世紀末~8世紀前半に統一された、チベット=ビルマ系の王国。唐文化を取り入れ、漢字を使い、仏教を奨励したが、唐が衰退すると、よく唐の四川地方に侵入して、唐を苦しめた。10世紀初めに内紛によって滅亡。そ...
隋・唐時代の繁栄

吐蕃-強大なチベットの国–新しい文字や仏教を独自に-

吐蕃の建国吐蕃は7世紀にチベットで、ソンツェン・ガンポが建国した国。都はラサで、ポタラ宮殿というチベット仏教と政治の中心となる施設が17世紀に建てられた。吐蕃は強大な山国で、唐に恐怖を与えた。ヴァルダナ朝へ王玄策おうげんさくを使者に出し、友...
モンゴル民族の発展

元末の情勢と紅巾の乱

元末の情勢元末の混乱14世紀、クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。それに加えて...
隋・唐時代の繁栄

安史の乱~玄宗と楊貴妃一族による政治の末路~

玄宗の晩年~楊貴妃溺愛と楊一族の優遇~天宝年間になると玄宗は政治に飽き、お気に入りの寵臣ばかり起用し、玄宗の息子の妃の絶世の美女・楊貴妃ようきひ(体重約70kg)を後宮に迎え溺愛し、政務を怠り、楊一族を要職につけた。李林甫の政治この頃、政治...
魏晋南北朝

五胡十六国時代

五胡とは?南匈奴の子孫の匈奴、匈奴の別種と言われる羯(けつ)、モンゴル系あるいはトルコ系の鮮卑、チベット系の氐(てい)や羌(ぎょう) の諸民族の総称。304年の漢(前趙)~439年の北魏の華北統一までの間に漢民族が興した国も含めて、20以上...
古代中国文明

春秋時代

周の東遷前770年、西周第12代幽王のときに北方のチベット系異民族犬戎(けんじゅう)によって都の鎬京(こうけい)が攻め落とされ、洛邑(らくゆう)(洛陽)に遷都した。これを周の東遷と呼び、以降の周を東周(前770~前256)という。春秋時代の...
古代インド・東南アジア

消滅した民族「ピュー人」

1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に...
古代インド・東南アジア

ヴァルダナ朝と南インドの歴史:ハルシャ・ヴァルダナの時代

ヴァルダナ朝の成立(606年)606年、北インドの混乱の中でハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)は台頭し、北インドを統一しました。ハルシャ・ヴァルダナはカナウジを都とし、新たな王朝としてヴァルダナ朝を建国しました。ハルシャ・ヴァルダナの統治下で北...
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