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昭和時代初期

田中義一内閣の金融恐慌収拾-モラトリアム3週間-

昭和時代初期
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回、金融恐慌が発生したと伝えました。

第1次若槻礼次郎内閣の政治-大蔵大臣の失言と金融恐慌-
...

今回は、前回お伝えした若槻礼次郎内閣が総辞してからの続きです。

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田中義一内閣の組閣

若槻礼次郎内閣の総辞職を受けて、田中義一が組閣しました。

大蔵大臣は高橋是清です。

田中義一は外務大臣も兼任して、
田中強硬外交を展開しました。

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金融恐慌収拾

大蔵大臣の高橋是清のもと、モラトリアム週間を実施します。

モラトリアム三週間

モラトリアム三週間は、全銀行を一時休業させ、日本銀行から20億円の非常貸し出しを行って恐慌を鎮めたというもの。

モラトリアム
モラトリアムとは支払猶予令のことです。本来モラトリアムはある一定約束を延長することですが、金融の場合は支払猶予のことを指します。
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四大財閥の覇権の時代の到来

このような関大震災から続く、慢性的不況のなかで、
企業の独占・集中や資本輸出の傾向が前進しました。

あらゆる企業部門にカルル・トラストのような
独占企業態が現れました。

欧州の独占企業については、以のリンクを参照してください。

独占資本主義
...

四大財閥

各種の企業部門を同系の資本のもとに統合するコンツェルン的多角経営に乗り出し、四大財閥として覇を唱えました。

在華紡

大きな紡績会社は、第一次世界大戦後、中国に工場を次々に設しました。

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