法華経・阿弥陀経などの仏典の漢訳と教理の中国定着に大きく貢献した。
また、経典収集のために、399年に長安からグプタ朝時代のチャンドラグプタ2世時のインドに赴いた
山東に帰国し、帰国後にそれらの旅行記「仏国記(法顕伝)」を書いた。
この時代の仏教は貴族層や国家の保護を受け、北朝ではだいたい皇帝の保護を受け繁栄し、
とくに北魏では国家仏教として繁栄した。
仏教は弾圧され、廃仏が行われた。
仏寺や寺院もたくさん作られるようになり、
敦煌は西域への中国側の門戸として重要な役割を果たした。
494年の北魏の遷都後、河南省洛陽の南方の竜門で唐の玄宗の時代まで漢化政策で純中国風の石窟寺院が造営された。
雲崗とともに中国の2大石窟と言われる。この2つの石窟寺院はいずれも鮮卑人がつくった。
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