金輸出の禁止
第1次世界大戦以後、日本は金の輸出を禁止していました。
金解禁の実施
世界大戦が終わり、財界からも金解禁の声が上がってきました。
日本は大蔵大臣の井上準之助のもと、
1930年に旧平価で金解禁に踏み切りました。
旧平価とは?
旧平価は元の交換比率に戻すという意味で、金の輸出禁止時の価格に戻すというものでした。その価格が100円=49.85ドルでした。
金解禁の目的
国際為替相場の安定と輸出の増大が目的でした。
しかし、1929年の世界恐慌の翌年でした。
日本はこの段階で海外との繋がりを強化したわけです。たとえるならば、引きこもりが病気が流行っているときに限って外に出たようなものです。
金解禁の結果
日本も例外ではなく、世界恐慌の影響を受けます。日本には影響がないだろうと思っていた内閣・大蔵大臣・財界人らの見通しの甘さ、見る目のなさ、状況を正しくキャッチすることができませんでした。
昭和恐慌
都市では中小企業が倒産し、操業短縮、「産業合理化」の名の下に人員整理が行われ、失業者が溢れます。
「大学は出たけれど」が当時の流行語でした。
農村でも生糸の輸出が激減したので、繭価暴落します。養蚕農家は大打撃でした。のちに養蚕農家は満州へと派遣される満蒙開拓団の中心となります。
農村恐慌
1930年には豊作飢饉に見舞われ、その翌年1931年には凶作飢饉に農村地帯は見舞われました。こうした状況を農村恐慌とよび、欠食児童が発生し、婦女子の身売りも行われました。