「満州国」建国-国旗・首都、皇帝と溥儀って?-

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昭和時代初期
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前回、

柳条湖事件とは?なぜ?きっかけは?原因は?
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柳条湖事件が勃発し、若槻礼次郎内閣は統制力が無く、関東軍の暴走を抑え込むことができませんでした。

今回はその調子に乗った関東軍が「国」を勝手に作り上げてぶっ建ててしまうというそんなお話。

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満州国建国

満州国建国の背景

関東軍は不拡大方針を無視して、どんどん満州を侵略していきあっという間に征服していきます。

あっという間に約半年でほとんどの領地の征服に成功してしまいます。

関東軍は張作霖の息子・張学良政権を排除したのち、満蒙に日本の言いなりになる「自由国」を作ってしまおうとしていました。

幣原喜重郎は自身が協調外交で育ててきた九カ国条約の違反であると主張し、日本は列国から批判される身となるとして、この計画に強く反発しました。

「満州国」建国の宣言

1932年3月、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀あいしんかぐらふぎ/宣統帝溥儀を執政において満州国の建国を宣言します。首都は新京(現在の吉林省の省都・長春市)。領土としては東三省と熱河省・興安省の5省で成立しました。溥儀はただの傀儡に過ぎません。関東軍が事実上支配する国・それが満州国でした。

清朝の皇帝はもともと女真族で、女真族と満州は切っても切れない関係でした。

南宋の成立と金の繁栄
...

満州国のスローガン「五族協和」による「王道楽土」

五族協和とは、

  • 日本民族
  • 朝鮮民族
  • 漢民族
  • 蒙古民族
  • 満州民族

による協和を叫んだものです。

 

 

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