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昭和時代初期

十月事件-1931年のクーデター未遂事件と陸軍内部分裂-

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十月事件とは?

1931年、
権をめざすクーデター未事件が発生します。
荒木貞夫を首班とする内閣を目指したものです。

十月に起こったので、十月事件といいます。

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十月事件の結果

軍内部分

十月事件の結果、陸軍内部は皇道派統制派という2つの派閥に分裂します。

大日本国陸軍皇道派軍事に軍部政権を樹立
  • 荒木貞夫
  • 真崎甚三郎
  • 相沢三郎
統制派合法的に軍事政権を樹立
  • 条英機
  • 永田鉄山

皇道派

皇道派とは、軍部政権の樹立のためにはロやクーデターをも辞さないとする過激な一派です。

皇道派としては荒木貞夫・真崎甚三郎・相沢三郎が有名です。

統制派

統制派とは、軍部政権の樹立は合法的手段を用いて達しようという穏健な一派です。

統制派のンバーとしては東条英機・永田鉄山が著名です。

第2次若槻礼次郎内閣退陣

このようにして、陸軍大本営の内部は分裂し、満州の東軍は暴走しているような軍隊の制御が効かない中、内務大臣・安達謙は政友会・軍部と連携し、協力内閣論とよばれる挙国一致体制の樹立を目指しました。

しかし、民政党の同志・外務大臣・幣原喜重郎や大蔵大臣・井準之助らが猛反対し、混は続くこととなりました。

こうして第2次若槻礼次郎内閣は、身内の調整も調和もとれず、閣内不一致の混乱状態のまま退陣します。

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