PR
スポンサーリンク
昭和時代初期

学校では教えてくれない戦前史:「満州某重大事件」の真相

スポンサーリンク
この記事は約4分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

戦前の日本の歴史には、現代のサスペンスドラマも真っ青な「暴走・暗殺・隠蔽」のドラマが詰まっています。

初回となる今回は、昭和の始まりを大動乱へと導く元凶となった「張作霖爆殺事件」(当時の日本での呼称:満州某重大事件)をマニアックに紐解いていきます。

スポンサーリンク

1. 1911年、中国の激変と「大軍閥」張作霖の誕生

ストーリーは1911年に遡ります。

孫文らが起こした辛亥革命によって清国が倒れ、アジア初の共和制国家である中華民国が誕生しました。首都は南京におかれましたが、広大な中国全土を一元管理するのは不可能であり、各地に武装した「軍閥」が割拠する混迷の時代へと突入します。

この時代、中国の東北地方(満州)を牛耳っていたのが、東北軍を率いる大軍閥・張作霖(ちょうさくりん)でした。

日本軍(とくに現地駐屯の関東軍)は、この張作霖を「おだてて」味方につけ、日本軍の後押しによって彼を育て上げました。両者は互いの利害が一致する蜜月時代を過ごします。やがて張作霖は力を伸ばし、北京に乗り込んで北京政府大元帥にまで上り詰めました。

しかし、大正時代から昭和へと変わる頃、事態は急変します。

スポンサーリンク

2. 役に立たなくなった「コマ」と関東軍の暗躍

中国本土では、蒋介石率いる国民政府軍(国民党軍)が台頭。広東軍や江西軍を統合し、さらに内部共産党軍を抱え込みつつ、北の軍閥たちを倒す「北伐」を開始しました。

敗れた張作霖は、北京を追われて本拠地である奉天(瀋陽)へ逃げ帰ってくることになります。

この時、日本の日本軍(陸軍・関東軍)内部で恐ろしい思惑が持ち上がります。 これまで利用してきた張作霖が次第に「言うことを聞かなく」なり、日本にとって「役に立たなくなった」どころか、「非常に危険」な存在だと看破されたのです。

「張作霖を排除し、亡き者にして、満州を日本軍自ら統治すべきだ」

こうして、関東軍の手による恐ろしい謀略が裏で動き出しました。

スポンサーリンク

3. 1928年6月4日:ずさんすぎる「工作」の顛末

1928年6月4日

奉天へと戻る途中の張作霖が乗った列車が、線路に仕掛けられた爆薬によって吹き飛ばされ、張作霖は死亡しました。

関東軍はすぐさま「これは中国側の工作だ」ごまかしを図ります。 現場近くでアヘン中毒中国人二人を殺害し、その死骸を「犯人」として転がしておくというずさんな計画を実行したのです。

しかし、ボロはすぐに破綻します。

犯行前夜、奉天の銭湯で怪しい男たちが「明日はおれたちはでかいことをやるんだ」と大声で話していたことなどが露呈。「われわれは関知しない」とシラを切る関東軍でしたが、常識的に考えるまでもなく、日本の陸軍工作員による暗殺であることは明らかでした。

スポンサーリンク

4. 昭和天皇と田中義一首相:密室で交わされた激論

この事件の波紋は、東京の政界を激震させます。

元老・西園寺公望(かつて1901年・26歳の若さで政治の表舞台に立ち、当時は静岡県興津の別荘「坐漁荘」<現在は愛知県犬山市明治村に移築>に構えていた)は、報せを聞くやいなや見抜きました。

「さては陸軍がやったな」

「けしからんことだ。世界的に公にはできないが、国内ではきちんとケリをつけておかないと将来的にいい結果をもたらさない」

西園寺の警告を受け、上京した首相・田中義一(かつて原敬内閣で陸相を務め、内閣総理大臣であると同時に陸軍の親玉の立場でもある人物)は、昭和天皇にこう上奏します。

「政府としてこの問題をしっかり調べ、もし犯人が日本人であるということになれば厳罰に処さねばならない」

昭和天皇もこれに対し、「非常によろしい。陸軍部内の今後のためにもそういうことはしっかりやるように」と応じました。

陸軍の反対と天皇の怒り

ところが、陸軍内部からの猛反発に遭った田中首相は一向に実行しないどころか、前言を撤回しようと画策します。

「十一月十日の天皇御即位の大典が済んだ後で、この問題について陛下に申し上げるつもりだ」と先延ばしにし、さらに12月24日には「陸軍の手が伸びているということはなかった(処分はうやむやにする)」という趣旨のごまかしの報告を行おうとしたのです。

西園寺公望は田中に対し、こう一喝していました。

「そのようなごまかしを言ってはいけない。早く報告するように」

最終的に、約束を破り二枚舌を使った田中義一に対し、若き昭和天皇は「田中の言うことは分からぬ」と激怒。梯子を外された田中内閣は総辞職に追い込まれ、田中自身もまもなく失意のうちに急死しました。

後年、『昭和天皇独白録』の中でも語られている通り、この事件での軍部の暴走とうやむやな処置こそが、日本がブレーキの効かない惨禍へと突き進む大動乱の幕開けとなったのです。

Related Posts

コメント

タイトルとURLをコピーしました