今回は弥生人の生活について、田圃を中心に見ていきたいと思います。
田
直播(じかまき)・・・手で投げて播く田植えの方法。書くところがここぐらいしかなかったので、ここに書いた。
田の種類
湿田
弥生時代初期の水田耕作で低湿地を利用して行った田。湿田は排水施設を必要とする水田。稲に酸素を送りにくいため生産効率が悪い。
乾田
弥生時代後期になると、地下水位が低く、灌漑を行う生産性の高い水田が作られ始めた。乾田は湿田に比べて、微生物による土の分解が進み、土壌の栄養分がよく、生産性が湿田に比べてよい。
木製農具と発見された遺跡
道具の種類
木鍬(くわ)・木鋤(すき)が水田の耕作用農具として用いられた。
田下駄(たげた)は低湿地の水田で、足が沈むのを防ぐために用いられた。日本人の履物のルーツ。
大足(おおあし)は水田に肥料とするために青草などを踏み込む道具として使われた。大足も田下駄の一種だとする説もある。
えぶりは水田面を平にならしたり、収穫した籾(もみ)を干すために平均的に広げるために用いられた。
田舟は稲の運搬に用いられた。
唐古・鍵遺跡
多数の木製農具が出土した奈良県の代表的な遺跡。時期は弥生前期~後期。奈良盆地中央部の若干高い所にあった。集落を取り囲む大規模な環濠が発見されている。
登呂遺跡
静岡県の代表的な弥生時代の遺跡。住居・倉庫・水田跡などで知られる。静岡県静岡市に所在している。第二次世界大戦中の軍需工場建設工事の調査で発見された。戦後、本格的調査がなされた。
砂沢遺跡・垂柳遺跡
それまで、東北地方には弥生時代には稲が育てられていなかったというのが通説だったが、
これらの遺跡の発見によりその通説は覆された。
青森県弘前市の砂沢(すなざわ)遺跡からは弥生時代前期の水田跡が発見された。
青森県南津軽郡田舎館村の垂柳(たれやなぎ)遺跡からは中期の遺跡が発見された。
百間川遺跡
岡山市にある田植えがすでに行われていたことを裏付ける遺跡。稲株の痕跡が一面に見られた。
その他の遺跡
山木(やまき)遺跡(静岡県)・服部遺跡(滋賀県)
収穫方法
石包丁・・・収穫時に使用された。半月形の背の部分に普通二箇所の穴があり、紐を通して指に巻いて稲穂を穂摘みで刈り取る。これを穂首刈り(ほくびかり)という。
異なる方法として、根刈りがある。弥生時代後期以降に鉄鎌を使用した。鎌は稲刈り用・草刈り用・木刈用。牧草刈り用など様々な用途に対して用いられ、異なる種類で用いられた。根刈りが現れても、穂首刈りは平安時代頃まで続いた。
脱穀方法
穀物の脱穀には木臼と竪杵を用いた。餅つきのセットといえばわかりやすいかな。
貯蔵方法
高床(式)倉庫が建てられた。弥生土器や銅鐸などに高床倉庫が描かれている。
また、貯蔵穴と呼ばれる穴でも保管された。
コメント