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飛鳥時代

天智天皇の時代

飛鳥時代
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天智天皇の即位

中大皇子は長い間斉明天皇の死後、皇太子のまま政治を行う称制で政務を行っていたが、668年即位して天智天皇(てんじてんのう)となる。

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新羅の朝鮮統一

この年、唐・新羅連合は高句麗を滅ぼした。670年から両者は戦争状態に陥る。676年、唐は新羅の勢力を駆逐して半島を統一した。

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近江令と庚午年

近江令

天皇が国内統治の記念として、日本最初の令として定めたもの。体系的な法ではなく、単行法の集成であった。

庚午年籍

庚午年籍(こうごねんじゃく)とは、我が国で最初の全国的戸籍。670年の庚午年にられた。これは全国の豪族から公・部曲(かきべ)・奴婢(ぬひ)までの全階層を登録したもの。全国民の姓を定めたもので、律令制成立以後も、姓の元として根本台帳として、永久に保存されるようになった。11世紀の「上野国交替実録帳」にも《庚午年玖拾(90)〈管郷捌拾陸(86)駅家肆(4)〉》とみえ、里や駅家(うまや)ごとに一巻ずつ作られていたことが推測される。この戸籍が完成したおかげで徴税と徴は行い易くなったが、公公民制を完全実施されていない状況で強行したために、地方豪族の不満は高まり、壬申ので近江朝廷が敗れる一因ともなった。

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相棒・中臣鎌足の死去

天皇は鎌足に対して、大織冠という冠位と藤原という姓を与えた。大織冠は藤原鎌足にしか、与えられなかったのでだけの別名となりました。藤原は彼にしか与えられていなかったので、本当は彼の子孫は名乗れないが、奈良時代以降の子孫が名乗りだしたので出てきた。

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