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軍国主義の時代

南部仏印進駐(1941年)と第3次近衛文麿内閣

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第3次近衛文麿内閣が帰ってきました。
正直、21世紀の日本の首相である岸田文雄と近衛文麿にはいくつか共通点が多いと感じています。

近衛文麿もまた、議員であり、
貴族階級出身の議員でありです。

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仏印進駐

第3次近衛文麿内閣の時に、南部仏印進駐を決定したのであります。

南部仏印とは、フンス領インドシナの南部のことであります。

インドシナとは、そのの通り、
インドと中の間という意味で、
インドシナ半島の現在の

の3個に相当します。

南部仏印進駐の目的

南部仏印進駐の目的は、
然資源の確保であります。

どのような天然資源かといえば、

  • 石油
  • ゴム
  • アルミ

といった軍事用の物資を産出するのであります。

近衛文麿は大本営府連絡会議の言いなりになり、
南部仏印進駐の方針を決定したのであります。

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北部仏印進駐は?

北部仏印進駐を決めたのも近衛文麿です。
しかし、北部仏印進駐は第2次近衛内閣です。
南部仏印進駐は第3次近衛文麿内閣で決定されました。

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