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戦国武将織田信長戦国時代

織田信長の清須城入城~主家・清須織田家の滅亡~

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尾張斯波義統の自刃

1554年7月12日、
尾張守護・斯義統(しばよしむね)に
尾張下四の守護代・織田信友(おだのぶとも)と、
その家臣で小守護代・坂井大膳(さかいだいぜん)らが
斯波義統の子・斯波義銀(よしかね)が
川狩にでかけた留守を狙い攻め込みました。
その結果、斯波義統は清須守護で自刃しました。
 
斯波義銀は織田信長を頼って那古野に逃げ込みました。

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清須城攻略戦

織田信長は守護への謀反人を討つことを大義名分として、
織田信友の本拠・清須城へ攻め入ることにした。
そして1555年4月20日、
山城(もりやまじょう)の叔父・織田信光(おだのぶみつ)と
共謀して清須城を落とし、織田信友を切腹させ坂井大膳を追放しました。
こうして織田信長は、
尾張の治・経・交通の中である
清須城を手の内に収め、尾張統一に向けた戦いを進めていきます。
 

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