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戦国武将

織田信長の尾張統一

浮野の戦い岩倉城の織田伊勢守家・織田信賢(おだのぶかた)が美濃国の斎藤義龍と結んで織田信長を攻撃しました。織田伊勢守家(岩倉織田家)尾張国上四郡を領する嫡流の守護代家です。この頃は織田信安の子である織田信賢と織田信家(おだのぶいえ)の兄弟が...
戦国武将

織田信長の清須城入城~主家・清須織田家の滅亡~

尾張守護・斯波義統の自刃1554年7月12日、尾張守護・斯波義統(しばよしむね)に尾張下四郡の守護代・織田信友(おだのぶとも)と、その家臣で小守護代・坂井大膳(さかいだいぜん)らが斯波義統の子・斯波義銀(よしかね)が川狩にでかけた留守を狙い...
戦国武将

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

尾張での勢力守護・斯波氏と守護代・織田氏尾張では、守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。織田氏も2家に分かれ、上4郡を支配する岩倉城の織田伊勢守家(おだいせのかみけ)と下4郡を支配する清須城の織田大和守家(おだやまとのかみけ...
戦国時代

三好元長の死~和泉の一向一揆・足利義維の失脚~

前回のあらすじ中嶋の戦いの背景 堺公方府の河内国守護・畠山義宣(はたけやまよしのぶ/義尭(よしあき)、義英(よしひで)の子)と河内守護代・木沢長政(きざわながまさ)の対立が原因です。1531年8月に、畠山義宣が木沢長政の飯盛城(いいもりじょ...
戦国時代

明応の政変

1493年4月22日、細川政元が足利義稙(よしたね)の代わりに、足利義政の異母弟・足利政知の子、香厳院清晃(きょうごんいんせいこう)を将軍に擁立した。23日、その旨を朝廷に奏上した。擁立の経緯2月15日、足利義稙は畠山政長の要請で、畠山基家...
関東

享徳の乱-~応仁の乱並に複雑~わかりやすく解説→関東は乱の結果分裂

関東の情勢関東の支配体制は鎌倉公方と関東管領を2大頂点としていました。鎌倉公方は伝統的守護家に支えられ、関東管領上杉氏は中小国人衆に支えられていました。享徳の乱の内容享徳の乱の幕開け嘉吉の変後、足利成氏あしかがしげうじが鎌倉公方になりました...
明代の中国

朱元璋(洪武帝)の台頭と明の建国

朱元璋誕生・幼少期1328年朱元璋(しゅげんしょう)は安徽省濠州の貧しい中でも一番貧しい小作農(佃戸)の家に生まれた。(現在の安徽省徐州市鳳陽県)本名は重八。(一族同世代の中で8番目に生まれたから)ちなみに、父親の名前は五四(ごし)。両親の...
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