戦国武将赤松一族を中心とした播磨の豪族たち 〜その成り立ちと興亡〜 播磨源氏の祖・山田入道と西播磨への土着 赤松一族の遠祖は、村上天皇の第七皇子・具平親王の血を引く村上源氏とされています。天永年間(1110〜1113年頃)、ゆえあって播磨国に配流された源季房が土着し、その孫(または曾孫)にあたる山田伊豆守則... 2026.04.24室町時代平安時代戦国時代戦国武将鎌倉時代
戦国武将織田信長×上杉謙信「幻の東西挟撃」|1572年、岐阜城で交わされた血判起請文とマントの誓い 1572年(元亀3年)11月20日。美濃・岐阜城の門を叩いた一人の男がいました。上杉謙信の使者、**長景連(ちょう かげつら)**です。彼が携えていたのは、最強の軍神・上杉謙信からの「共闘」の意志。これに対し信長は、自らの指を切り、血で印を... 2026.04.15戦国武将織田信長
戦国武将名門・朝倉氏の最期|一乗谷炎上。信長の「遮断戦」と身内の裏切りに屈した1573年の真実 1573年(天正元年)8月20日、越前の名門・朝倉氏が滅亡しました。かつては京都の文化を移植し「北陸の小京都」と謳われた一乗谷は、織田信長の猛攻と身内の裏切りによって灰燼に帰しました。この戦いは、単なる武力衝突ではありません。信長が仕掛けた... 2026.04.22戦国時代戦国武将織田信長
織田信長織田信長「お前、もう将軍失格だ」|異見十七ヶ条に隠された“宣戦布告”と幕府崩壊の真実 1572年9月、織田信長が室町幕府15代将軍・足利義昭に対して突きつけた**「異見十七ヶ条(いけんじゅうしちかじょう)」**。これは単なる「アドバイス」でも「意見書」でもありません。その正体は、信長による**「将軍への政治的死刑宣告」であり... 2026.04.15戦国時代織田信長
戦国武将1570-1571年の真実|日本が一度「止まった」瞬間。志賀の陣と物流封鎖の全貌 信長が絶体絶命に陥った「志賀の陣」、そして前代未聞の全線封鎖を強いた「元亀の和睦」。これまでの戦国史では「信長の苦戦」として語られてきたこの期間を、**「政治・経済・宗教が絡み合い、日本が物理的に静止した瞬間」**という新たな視点で紐解きま... 2026.04.15戦国時代戦国武将織田信長
徳川家康徳川家康、決死の生存戦略|武田信玄を「上下」から潰す『徳川・上杉同盟』の深層(1570年) 1572年の「濃越同盟(織田・上杉)」に先駆けること2年。1570年、徳川家康は自らの生存を懸けて、ある「絶対契約」を結んでいました。それが越後の虎・上杉輝虎(謙信)との**「徳川・上杉同盟」**です。信長が西で手一杯、北には怪物・武田信玄... 2026.04.15徳川家康戦国時代戦国武将
戦国武将織田信長、痛恨の配置ミス|弟・信興を死に追いやった「長島一向一揆」と「斎藤龍興」の復讐劇 1570年、織田家にとって「金ヶ崎」以上の絶望となった戦いがあります。それが信長の弟・**織田信興(おだ のぶおき)が自害に追い込まれた「小木江城(おぎえじょう)の戦い」**です。なぜ信長の弟は、一兵卒として散ることも、逃げ延びることもでき... 2026.04.15戦国時代戦国武将
戦国武将十一カ国の太守・尼子経久の妙法蓮華経の信仰 中国地方の覇者とも呼ばれ、謀将であり、尼子経久は出雲国を中心に十一カ国の太守と未来では言われることになった。そんな中で、1515年出雲国の大領主尼子経久あまごつねひさは、「妙法蓮華経」を出版し、領内の寺社に寄贈しました。尼子経久による、開板... 2026.03.05戦国武将
徳川家康姉川の戦い-場所は?勝敗は?をわかりやすく- 2023年は徳川家康公の大河ドラマですね。ちょっとまとめておきますね。野洲川の戦い-vs六角-1570年6月4日、六角義賢・六角義治親子は南近江の国人一揆を吸収して、先導し、野洲川やすがわ下流に進出いたしました。対して滋賀県野洲市の永原城に... 2023.01.02徳川家康織田信長
徳川家康徳川家康の性格-姓名判断と数秘術と算命学をかじった性格推定- 今まで需要のない記事を、たくさん生産してきたようなので、これからは需要のある記事に方向転換して、徳川家康の性格診断を行ってみます。算命学に基づく徳川家康の性格徳川家康の生年月日は、1543年1月31日です。徳川家康は辰巳天中殺ということにな... 2022.09.25徳川家康
徳川家康松平氏、徳川氏へ改姓 1566年12月29日、松平元康は、徳川元康へ改称します。織田氏も松平氏も平家の名字。松「平」だと平家なのまるわかりだったということもあります。 2022.09.22徳川家康
徳川家康清洲同盟締結-天下統一へ向けて織田信長と徳川家康(松平元康)の関係は強固に さてさて、大河ドラマで需要がありそうな、清洲同盟の記事も書いていきますよ。きっと戦国時代が舞台になる度にアクセスが稼げる記事になるでしょう。桶狭間の戦いの復習1560年5月19日、今川義元が織田信長に倒されて討死します。桶狭間の戦い-今川家... 2022.09.22徳川家康戦国武将織田信長
徳川家康徳川家康(松平元康)と桶狭間の戦い-岡崎城への13年ぶりの帰還と松平氏の独立- 七か条の法度1559年5月16日、桶狭間の戦いの1年前、元康は七か条の法度を出します。七か条の法度には関口義広や朝比奈親徳などが書かれており、松平氏は今川家臣として臣従していたことを示しています。桶狭間の戦い1560年5月19日、今川義元・... 2022.09.07徳川家康
徳川家康徳川家康(松平元康)と今川義元の姪の築山殿(瀬名姫)との結婚と関口氏 さて、筆が乗ってるので、家康の話を進めていきますね。松平元信、築山殿との婚儀1557年1月15日、松平元信(16歳)は今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿(瀬名姫)の婚儀が駿府の今川館で執り行われました。築山殿の年齢は?築山殿の年齢は6歳上だ... 2022.09.07徳川家康
徳川家康松平竹千代(→松平元信)の元服in駿府…今川氏の部将に。 さてさて話は進んで、竹千代が元服して松平元信になる話です。松平元信は14歳で今で言う「大人」になります。松平元信の元服式1555年3月、三河岡崎城の城主になった松平竹千代(のちの徳川家康/14歳)は、駿府すんぷ(現在の静岡市)の今川館で元服... 2022.09.07徳川家康戦国時代
徳川家康竹千代(徳川家康)、今度は今川氏の人質になる 松平広忠の死1549年3月6日、のちの徳川家康として知られる竹千代の父・松平広忠(24歳)が側近の岩松八弥に殺されてしまいます。岩松八弥は植村新六郎によって、討ち取られました。太原雪斎(崇孚)、岡崎城へ松平氏は、竹千代を除いて、なかば断絶状... 2022.09.07徳川家康
徳川家康徳川家康の織田氏への拉致と2年間の人質生活 さて、来年の大河ドラマに合わせて家康の話も進めていきます。織田信秀の三河・岡崎城攻め1547年、37歳の織田信秀は、松平忠倫を織田氏に寝返りさせます。織田信秀は調略がうまかった武将です。尾張の配下にすぎないのによく寝返りさせています。織田信... 2022.09.07徳川家康戦国時代
徳川家康徳川家康(竹千代)の誕生-竹千代の母・水野於大と松平氏と水野氏について- 来年、大河ドラマで「どうする家康」が放送されますね。現在、鎌倉時代の鎌倉殿の13人が絶賛放送中ですが、予算の都合上、鎌倉時代は資料が足りていません。そこで、もう今年は諦めて、来年の分をまとめます。水野氏とは?三河国刈谷城を本拠とする豪族です... 2022.09.07徳川家康
戦国武将斎藤道三、親子の国盗り下剋上物語 「国盗り物語」のかつての通説斎藤道三は、山城国西岡やましろのくににしおかの浪人・松波基宗まつなみもとむねの子で、幼くして京都妙覚寺に入り法蓮坊ほうれんぼうと名乗っていました。やがて、俗世へ還俗して、油商・奈良屋に入婿しました。美濃国へ油の行... 2020.03.29戦国時代戦国武将
戦国武将毛利元就、家督をつぐ「元綱事件」大内・尼子の間をめぐり 毛利氏、尼子経久につく毛利氏を始めとする安芸国の国人衆は、1523年6月に大内氏の安芸国の拠点・鏡山城を落とした尼子経久に従っていました。幸松丸の死1523年7月15日に9歳で幸松丸は夭逝しました。毛利元就の家督継承1523年8月10日、毛... 2023.12.08戦国時代戦国武将