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大正時代

二十一カ条の要求-なぜ?その意味は?理由を簡単に解説-

大正時代
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サライェヴォ事件をきっかけに始まったのが、
第一次世界大戦でした。

サライェヴォ事件で第一次世界大戦が勃発
...

日本は日英同盟を大義名分に連合国側で参戦しました。
は日本を中に第一次世界大戦を見ていきます。

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中国進出の好機とみた日本

日本は第一次世界大戦を中国に進出する絶好のチャンスとして捉えました。

たとえば山半島はドイツの租借でもありましたし、東半島を支配する日本にとってはまさに目と鼻の先でした。

日本にとっては、欧における戦乱はほぼ蚊帳の外でしたので、
あまり注目されてないうちに色々こそこそできたのでした。

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袁世凱政府への21カ条の要求

当時・外務大臣の加藤高明
中華民国の袁世凱政府に対して21カ条からなる
的・事的な権益を日本に認めさせる要求を突きつけました。

いわゆる脅しです。

権益とは?
権利と利益のことです。
今回は中国における日本の支配権と中国の富をいただくというものでした。

21カ条の要求の

二十一カ条の要求はその名の通り、
21ありますが、今回は3つにまとめておきます。
  • 山東省のドイツの旧権益の継承
  • 旅順・大連・南満州の租借の延長(1997年まで)
  • 漢冶萍司の日中合弁化

漢冶萍公司とは?

漢冶萍公司かんやひょうこんすとは、

  • 陽の製鉄所
  • の鉄山
  • の石炭・炭鉱

を1つにまとめて作られた会社のことです。

21カ条要求の受容と承認

袁世凱政府に対して、1915年5月7日に最後通牒を突きつけ、
5月9日に16カ条を承認させた日です。

ちなみに、
中国では日本の圧力に屈した日とされ、
5月9日を国恥記念日といいます。
覚えておくといつか得するかもしれません。

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日貨排斥運動

中国の民は、
21カ条要求を受けて、日貨排斥運動
すなわち日本製品ボイコット運動などを通し、
反日運動や排日感情を日に日に強めながら
民族運動を盛んにしていくこととなりました。

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