ヴァルダナ朝
606年
ハルシャ・ヴァルダナ王(戒日王)が北インドを統一し、
カナウジを都にヴァルダナ朝をおこす。
この王のもとナーランダー寺院で学んだ玄奘は
王に好待遇を受け、西域旅行記を書いた。
唐はチベットの吐蕃に対抗するために、
ハルシャと太宗の間には使節の交換が行われ、
唐朝からは王玄策が派遣された。
ラージプート時代…イスラーム勢力が入ってくる13世紀頃まで
ラージプート…「王の子」…古代クシャトリヤ階級の子孫
唐僧の義浄が来朝(行きも帰りも海路で訪れ、シュコーヴィジャヤに立ち寄る)
仏教では秘儀的な密教思想(真言宗のようなもの)が広まったのが、
仏教の衰退は止められなかった。
南インド
ドラヴィダ系サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)前1~後3世紀
ローマ貿易(季節風貿易)で栄えた。
そのことなどをギリシア人がエリュトゥラ-海案内記に著した。
ドラヴィダ系のチャールキャ朝の王プラケーシン2世は
ハルシャ・ヴァルダナの侵入を撃退した。
ドラヴィダ系チョーラの王ラージェンドラ1世は
11世紀初めにスマトラのシュリーヴィシャまで遠征。
シヴァ神やヴィシュヌ神などヒンドゥー教の最高神など
最高神に絶対的帰順を捧げるバクティ信仰が広がり、
吟遊詩人は神への絶対的愛を歌った。
インド諸王国の抗争

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