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東京時代

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昭和時代初期

売勲疑獄事件とは?

政友会の田中義一内閣のときに、昭和天皇の即位に際して、叙勲しようと企画されました。ところが、勲章製作に関係した貴金属商人と便宜を受けた人々との間での贈収賄事件が明るみに出ました。これを後の浜口雄幸内閣は批判して民政党の有利に運ぼうとしたわけ...
昭和時代初期

重要産業統制法-カルテルを保護・軽工業から重化学工業へ-

重要産業統制法1931年、重要産業統制法を制定します。これは、カルテルの活動を保護した企業連合のことです。生産価格の制限や、満州事変以後の軍需増大と政府の保護政策に支えられて重化学工業が軽工業生産を上回るようになり、日本の産業構造は大きな変...
昭和時代初期

三月事件-桜会とクーデター-

秘密結社「桜会」の結成1930年、橋本欣五郎を中心に大日本帝国陸軍内部の秘密結社として桜会が結成されました。桜会は「昭和維新」をスローガンに国家改造運動を進めていきました。三月事件の勃発1931年には三月事件が発生します。青年将校や桜会を中...
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昭和時代初期

霧社事件とは?

日本の台湾統治台湾は下関条約に基づき、日本の領土として清国から割譲されました。台湾には台湾総督府が置かれていました。日本の台湾統治とその困難性台湾はオランダにもかつて支配下に置かれていましたが、反抗的な民族の統治が難しく、あまり時が経過しな...
昭和時代初期

ロンドン海軍軍縮条約-全権は誰?なぜ参加した?比率は?-

世界恐慌で空前絶後の大不況になりました。そこでちょっとでも軍事力を減らして、財政を楽にしようという訳でお互いに牽制しながら、ロンドン海軍軍縮会議が開かれ、ロンドン海軍軍縮条約が結ばれました。ロンドン海軍軍縮条約1930年、イギリスのマクドナ...
昭和時代初期

浜口雄幸内閣と金解禁-その狙いと2つの目的-世界恐慌と農村恐慌

1928年8月田中義一内閣は不戦条約に調印しましたが、立憲民政党はその全文を大日本帝国憲法違反だとして攻撃し、留保宣言をつけてようやく批准されるという失態も犯しました。1929年7月に田中内閣は総辞職し、代わって立憲民政党の浜口雄幸内閣が成...
昭和時代初期

田中義一内閣の政策をわかりやすく解説

最近、まで田中義一内閣に関する記事をたくさん書いてきました。まとめておきます。田中義一内閣の成立田中義一内閣は第1次若槻礼次郎内閣の総辞職を受けて、成立します。田中義一内閣における大蔵大臣は高橋是清でした。田中義一は外務大臣も兼任していたの...
昭和時代初期

パリ不戦条約-調印国は15カ国?内容は?-

1928年、田中義一内閣のときにパリ不戦条約が結ばれました。では、早速みていきましょう。パリ不戦条約1928年、アメリカ国務長官ケロッグとフランス外務大臣ブリアンの提唱で、パリ会議でパリ不戦条約が15カ国の間で結ばれます。 オーストラリア ...
昭和時代初期

張作霖爆殺事件と満州某重大事件

関東軍と張作霖関東軍とは?北京の東にある三海関の以東にあった満州を関より東であったことから関東と呼ばれていた。関東軍とは、その関東に駐屯した日本陸軍のことです。張作霖とは?張作霖とは、満州の実権者であり、親日派の軍閥です。奉天軍閥として北京...
昭和時代初期

田中義一内閣の人民運動弾圧-三・一五事件・治安維持法の改正-

前回の普通選挙の実施で、無産政党が議席を8つも伸ばしたとお伝えしました。今回はそれに脅威を感じた田中義一により、それらが弾圧させられるという事件です。三・一五事件の背景と内容普通選挙実施にともない、無産政党が議席を獲得しました。しかし、共産...
昭和時代初期

日本の最初の普通選挙実施(1928年)

普通選挙法自体は原敬内閣で1925年に制定されましたね。今回は日本で初めて制定された普通選挙法に基づいた最初の普通選挙についてみていきます。田中義一の衆議院解散1928年1月立憲民政党の内閣不信任案提出に先立ち、田中内閣は衆議院を解散します...
昭和時代初期

山東出兵と対支政策綱領制定-何故?目的は?いつ?を簡単に解決-

田中義一は軍人出身です。当時の日本の首相でしたが、外務大臣も兼ね備えています。さらには、中国に対しては強硬路線でした。中国の動向と山東出兵の背景北伐国民党の最高指導者となった蒋介石は1926年に国民革命軍総司令に就任します。中華統一を目指し...
昭和時代初期

田中義一内閣の金融恐慌収拾-モラトリアム3週間-

前回、金融恐慌が発生したと伝えました。今回は、前回お伝えした若槻礼次郎内閣が総辞職してからの続きです。田中義一内閣の組閣若槻礼次郎内閣の総辞職を受けて、田中義一が組閣しました。大蔵大臣は高橋是清です。田中義一は外務大臣も兼任して、田中強硬外...
昭和時代初期

第1次若槻礼次郎内閣の政治-大蔵大臣の失言と金融恐慌-

第1次若槻礼次郎内閣は三菱と結んだ憲政会を与党に組閣しました。外務大臣は協調外交路線をすすめた幣原喜重郎です。金融恐慌(1927年)第52回帝国議会の開会中に、震災手形処理2法案の審議中において、片岡直温大蔵大臣が「東京渡辺銀行は破綻した」...
大正時代

二十一カ条の要求-なぜ?その意味は?理由を簡単に解説-

サライェヴォ事件をきっかけに始まったのが、第一次世界大戦でした。日本は日英同盟を大義名分に連合国側で参戦しました。今回は日本を中心に第一次世界大戦を見ていきます。中国進出の好機とみた日本日本とドイツの戦い日本は第一次世界大戦を中国に進出する...
明治時代初期

明治時代における交通・運輸の近代化

近代化の一環として、鉄道がはじめて日本に導入されました。イギリスに遅れること約47年のことでありました。鉄道(陸蒸気)鉄道は当時は「金を失う道」とよんで揶揄する人もいました。実際、年間21万円も鉄道事業で当時は儲かったそうです。当時の男性の...
明治時代初期

地租改正の目的とその理由とその後の影響

土地問題と租税問題様々な分野に、近代化をめざした投資をするためには、多くの経費が必要でした。そのため、政府の国家財政の基礎を固め、財政を安定させることが重要な課題でした。廃藩置県後、租税徴収権は政府の手に集中されましたが、政府の財源である年...
明治時代初期

太政官制の設置と藩閥政府

廃藩置県後、中央集権体制を強めるために太政官制改革が進められ、正院・左院・右院の三院制となりました。
明治時代初期

明治時代の兵制・軍制-理念は「国民皆兵」?-

明治時代の兵制・軍制はどんなものだったのでしょうか?みていきましょう。理念国家を強化するために、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、徴兵制にによる国民を基礎とした軍隊を作り上げる必要性がありました。そこで出てきた理念が「国民皆兵」で...
明治時代初期

廃藩置県(1871年)-中央集権国家に向けて-

版籍奉還版籍奉還では、名目上の中央集権体制は強化されましたが、知藩事と人民の関係は、藩主と領民であったと同じで、封建的な関係でした。中央集権国家を作り上げるために、廃藩置県を実施します。廃藩置県廃藩置県という言葉の意味廃藩置県(はいはんちけ...
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