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昭和時代初期

田中義一内閣の金融恐慌収拾-モラトリアム3週間-

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昭和時代初期
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前回、金融恐慌が発生したと伝えました。

第1次若槻礼次郎内閣の政治-大蔵大臣の失言と金融恐慌-
第1次若槻礼次郎内閣は三菱と結んだ憲政会を与党に組閣しました。外務大臣は協調外交路線をすすめた幣原喜重郎です。金融恐慌(1927年)第52回帝国議会の開会中に、震災手形処理2法案の審議中において、片岡直温大蔵大臣が「東京渡辺銀行は破綻した」...

今回は、前回お伝えした若槻礼次郎内閣が総辞職してからの続きです。

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田中義一内閣の組閣

若槻礼次郎内閣の総辞職を受けて、田中義一が組閣しました。

大蔵大臣は高橋是清です。

田中義一は外務大臣も兼任して、
田中強硬外交を展開しました。

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金融恐慌収拾

大蔵大臣の高橋是清のもと、モラトリアム三週間を実施します。

モラトリアム三週間

モラトリアム三週間は、全国の銀行を一時休業させ、日本銀行から20億円の非常貸し出しを行って恐慌を鎮めたというもの。

モラトリアム
モラトリアムとは支払猶予令のことです。本来モラトリアムはある一定の約束期日を延長することですが、金融の場合は支払猶予のことを指します。
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四大財閥の覇権の時代の到来

このような関東大震災から続く、慢性的不況のなかで、
企業の独占・集中や資本輸出の傾向が前進しました。

あらゆる企業部門にカルテル・トラストのような
独占企業形態が現れました。

欧州の独占企業については、以下のリンクを参照してください。

独占資本主義
巨大企業の成立工場の設立新しい工業部門では、高度な新技術の導入とともに、多数の労働者が一貫した効率的なシステムのもとに働く巨大な設備を備えた工場が建設された。企業の少数精鋭化~大不況と吸収合併~1873年にはじまった「大不況」に対応するため...

四大財閥

各種の企業部門を同系の資本のもとに統合するコンツェルン的多角経営に乗り出し、四大財閥として覇を唱えました。

  • 三井
  • 三菱
  • 安田
  • 住友

在華紡

大きな紡績会社は、第一次世界大戦後、中国に工場を次々に建設しました。

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