前回
ユスティニアヌス帝の死後、
ビザンツ帝国は
東部ではペルシア、
西部ではランゴバルド人、
北部ではアヴァール人によって、攻められます。
そうして、ビザンツ帝国は領土を縮小します。
ヘラクレイオス1世の治世
ヘラクレイオスとは?
ヘラクレイオスは、カルタゴ提督出身。
内政
軍管区制(テマ制)の導入
領土を軍管区に分け、そこに司令官(ストラテゴス)を任命し、
その軍管区の地方で、自治を行わさせる制度。
唐の節度使と似ています。
農地の開墾を指示したり、
外国人の傭兵の解雇権も認められたり、
していました。
屯田兵制
ヘラクレイオス1世は土地の大規模所有を抑制するとともに、
屯田兵制で軍事力の増強や国土の保全を果たそうとしました。
屯田兵制は、コロヌスで没落した農民に対して、
コロヌスを解除した上で、土地やスラヴ人を与えて、
平時は農業をさせるが、
有事の際は、兵役を課す制度。
司令官と農民の関係は、
日本の鎌倉時代の御恩と奉公に少し似ている。
ギリシア語が公用語へ
ヘラクレイオス1世の治世の頃から
ラテン語からギリシア語が公用語として
認められるようになってきます。
外政
ペルシアとの戦争
622年頃から628年頃にかけて、
ビザンツ帝国がペルシア帝国によって、
失われた領土を奪回するために戦争をしていました。
その結果、ビザンツ帝国は、
- アルメニア
- シリア
- パレスチナ
- エジプト
- メソポタミア
をササン朝ペルシア帝国から返還してもらいます。
アヴァール人撃退
626年、アヴァール人はコンスタンティノープルを包囲しようとしますが、
目論見がバレて、アヴァール人の勢いは弱り、
そのまま、アヴァール人は衰退します。
アラブ人のビザンツ帝国侵略
ササン朝ペルシア帝国と戦争をしている頃、
アラビア半島で、ムハンマドによって、
622年にイスラム教が創始されます。
ムハンマドの死後、
イスラーム勢力は聖戦(ジハード)を開始し、急速に拡大します。
イスラーム帝国によって、651年、宿敵ササン朝ペルシアは滅亡します。
イスラーム帝国(正統カリフ時代)のウマルによって、
エジプトやシリアなどを失います。
支配していた住民たちも長年の戦争で、
ビザンツ帝国から民心が離反していた結果ともいえます。
コメント