消滅した民族「ピュー人」
この記事は約1分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人
ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に生活していた民族です。
ビルマで最初のインド文明の影響を受けた遺跡は
シュリークシェートラ遺跡です。
その証拠に仏典の破片が見つかりました。
中国の僧侶・玄奘と義浄はその都市国家を
「室利差(察)咀羅」と記録していました。
ピュー人の消滅
そこそこ発展していたピュー人の国は中国雲南地方に興った南詔国から攻撃を受け、832年に首都が焼き払われてしまった。住人3000人が捕虜として今の昆明へと強制移住させられた。その後、ピュー人の行方はわかっていない。
ミャンマー人(ビルマ人)は南詔に服属していたが、
南下していって、ピュー人やモン人を追い出したり、吸収したりした。
空白
9世紀後半からパガン朝のアノーヤター王登場までの200年間のことがわかっていない。
コメント