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戦国武将織田信長戦国時代

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

戦国武将
尾張上四郡を支配する伊勢守織田家と尾張下四郡を支配する大和守織田家と知多郡と周辺国の地図
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尾張での

守護・斯波氏と護代・織田氏

尾張では、
守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。
織田氏も2家に分かれ、
上4郡を支配する岩倉
織田伊勢守家(おだいせのかみけ)
下4郡を支配する須城の
織田大和守家(おだやまとのかみけ/清須織田家/きよすおだけ)
争っていました。

尾張上四郡を支配する伊勢守織田家と尾張下四郡を支配する大和守織田家と知多郡と周辺国の地図

尾張四郡を支配する伊勢守織田家と尾張下四郡を支配する大和守織田家と知多郡と周辺国の地図

織田信秀について

織田信長の父、織田信秀は、大和守家の三奉行の一人に過ぎませんでした。
しかし、織田信秀は本拠にしていた
勝幡城(しょばたじょう)が商品流通の拠点として栄え、
また、勝幡城は尾張きっての町・津島を擁していました。
こうした中、織田信秀は
経済力を蓄え、また政治力や武勇にも優れていたため、しだいに台頭するのでした。

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織田信長の誕生

1534年5月28日
那古野城を本拠とする織田信秀(24)と正妻・土田御前(つちだごぜん)との間に、
勝幡城内で吉法師(きっぽうし)が誕生しました。のちの織田信長です。
吉法師には2人の兄がいましたが、どちらも側室の子だったので吉法師は嫡男として育てられました。
織田信秀は生まれたばかりの織田信長に、
宿老の林秀貞・平手政秀・青山与三右衛門・内藤勝介らをつけました。
1535年、織田信秀は、古渡城(ふるわたりじょう)に移り、那古野城に残ったの織田信長はわずか2歳にして城主となります。

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