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織田信長の尾張統一

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戦国時代
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浮野の戦い

岩倉城の織田伊勢守家・織田信賢(おだのぶかた)が
美濃国の斎藤義龍と結んで織田信長を攻撃しました。

織田伊勢守家(岩倉織田家)
尾張国上四郡を領する嫡流の守護代家です。
この頃は織田信安の子である
織田信賢と織田信家(おだのぶいえ)の兄弟が
争っており、弱体化していました。
1558年5月28日、浮野(うきの/現在の一宮市)において、
織田信長の軍勢と織田信賢の両軍が激突します。
結果として、織田信長の勝利に終わり、
織田信賢は岩倉城に撤退します。

織田信長、将軍・足利義輝に謁見

1559年2月2日、
尾張国の大半を統一した清須城の城主
織田信長は、80人ほどの供を連れて上洛しました。

上洛の目的

上洛の目的は、
将軍・足利義輝に拝謁し、
将軍から尾張支配の大義名分を
頂戴することでした。

尾張統一

1559年3月、
織田信長は岩倉城に攻め入り、
岩倉城は陥落します。
こうして、
織田信長は尾張統一を成し遂げました。

次回予告

尾張国は約60万石の石高でした。
それを統一したのが織田信長です。
隣国の宿敵・今川家は駿遠参三国の大大名ですが、
石高は約70万石とあまり織田家と大差はありません。
尾張統一を果たした織田信長は、
三河へと進出を狙います。
 

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