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大正時代

第3次桂太郎内閣と第一次護憲運動

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大正代について見ていきましょう。
大正時代は1912年7月30日-1926年12月25日までの約14年と半年です。
なんと!クリスマスは本では大正天皇の命日なのですね。

大正時代は濃密な15年として知られています。
大正デモクラシーも起こった時代です。

本来は日露戦争終わってからでも、
大正時代進めていいのでは?
って思っていましたが、
要望があったため、
進めていきます。

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第3次桂太郎内閣

当時、桂太郎は内大臣と侍従長を兼ねていました。
これは早稲田大の入試でも出された事項です。

桂太郎の組閣

大正時代に突入し、
では吉田茂以成し遂げたことがない、
3度目の組閣を桂太郎はやり遂げました。

桂太郎内閣の内閣退陣要

桂太郎内閣が組閣すると、
内閣退陣を要求する動きが活発になります。

桂太郎は藩閥政治の内閣でした。
藩閥政治というのは、
薩長土肥を中心とする内閣のこと。

特に明治時代以降は東北地方への予算は
戊辰戦争の影響で減らされていました。

また、桂太郎の後ろには、
陸軍の老・山県有朋がいるからで、
「桂太郎は山県有朋の操り人形だ」
という批判も出ていました。

ちなみに、桂太郎も山県有朋も出身は、
現在の山口県萩市です。

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第一次護憲運動「閥族打破・憲政擁護」

このような藩閥政治に対抗してできた流れが、
政党政治という運動です。

政治学者の吉野造らから、
ヨーロッパを見習って、
から選ばれた代表による
政治を運営すべきだ!
というがあがりました。

これが、
いわゆる大正デモクラシー開けでした。
民主主義を求める政治運動です。

政友尾崎行雄(神奈川県出身)や、
国民党の犬養毅(岡山県出身)など、
非薩長土肥の出身の政治家が勃興してきました。

その時のスローガンが、
「閥族打破・憲政擁護」
です。

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立憲同志会

桂太郎は、
民主主義に対抗して、
権威主義的な立憲同志会を結成します。

これが政党として役割をもつのは、
加藤高明内閣以降です。

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第3次桂太郎内閣の退陣

桂太郎はそんなに言うならと、
議会解散も考えていましたが、
衆議院議長大岡育造の勧告もあり、
「下からの」ボトムアップ型圧で、
結局、組閣から53日という短命で退陣しました。

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大正政変

この桂太郎が退陣に追い込まれる流れを、
大正政変」といいます。

民衆がはじめて、
薩長土肥の士族たちから、
内閣を総辞職に追い込んだ歴史的大事件でした。

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「憲政の神様」

尾崎行雄や犬養毅は、
憲政の神様として知られています。

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