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軍国主義の時代

盧溝橋事件(七七事変)-日中戦争のはじまり-

軍国主義の時代
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溝橋事件の発生

1937年7月7日の晩の京(当の北平)の西近郊にある清朝時代に建てられた盧溝橋ろこうきょうの付近で演習していた日本軍は何者かに発砲されたのであります。

これは1901年の北京議定書で駐留を認められていた支那駐屯軍に何者かが発砲したものであります。

日本軍は中国軍が発砲したものとして、
7月8日、翌日の近くの宛平県付近の中国軍を攻撃して戦闘が展開されたのであります。

これを盧溝橋事件ろこうきょうじけんと言うのであります。
中国では七七事変と言うのであります。

盧溝橋事件の犯人の説

盧溝橋事件は、

  • 日本側の自自演説
  • 中国共産の計画的行動説
  • 中国の誤認発砲説

など諸説があります。

真相はわかっていません。

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日中戦

盧溝橋事件の直後の日本

盧溝橋事件を受けて、
武力行使派と満州経営集中派にわかれて、
が活発化されました。

その後、陸軍の派兵要請に基づき、
1937年7月11日、近衛文麿内閣は中国への派兵を決定

「重大決意」を内外に明をだしました。

その同じ日。現地の日本軍と中国軍は現地協定を結んで休戦状態になりました。

1937年7月28日日本軍は中国へ総攻撃を開始します。

これが日中戦争の始まりです。

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日中戦争の呼称

政府は日中戦争が起こった当初、
日中の戦闘より北支事変と呼んでいたのでありましたが、
華中にも広がると支那事変とよび、
世界大戦後には日華事変と呼ばれるようになりました。

今日では日中戦争と呼ばれています。

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