平安時代後期

白河上皇の院政の開始

スポンサーリンク
平安時代後期
Cukierek / Pixabay
この記事は約2分で読めます。
スポンサーリンク

 

スポンサーリンク

白河天皇時代

白河天皇は1072年に即位した後、
1086年に位をおります。
はじめて院政を執り行いました。
(院政についてはのちほど)

法勝寺(六勝寺の1つ)

白河天皇は仏教に篤く、
院政時までに”〇勝寺”を
6つ建立します。
法勝寺はその1つで、
現在の京都市動物園周辺に
一番最初に建立されたものです。

堀河天皇への譲位

白河天皇は子の堀河天皇(ほりかわてんのう)
皇位を譲って自分は白河上皇になりました。

皇位を降りた人のことを、
太上天皇、略して、上皇といいます。
そして、1086年から、
院政をとり行いました。
摂関政治の時代から
院政の時代になりました。
ちなみに、
堀河天皇は、尊勝寺というお寺を
つくっています。

白河上皇時代

院政とは?-A.上皇の政治-

上皇が執り行う政治を院政といいます。
院政をとる上皇を治天の君といいます。
上皇というのは、
天皇の父、または祖父という立場。
というわけで、
天皇を差し置いて政治を行うわけですから、
専制的な政治を執り行う傾向があったようです。

北面の武士

院を警護するために、
院北面(北面の武士)を設置しました。

○○面の武士

滝口の武士宇多天皇の時代蔵人所が管轄平安時代
北面の武士白河上皇の時代院警護平安時代
西面の武士後鳥羽上皇の時代院警護鎌倉時代

天下三不如意

専制的政治を執り行った
強権的な白河上皇にも弱点が3つあったそうです。
これは天下三不如意(てんかさんふにょい)
いいいます。
「源平盛衰記」に記されています。

賀茂川

鴨川はよく氾濫したために、
疫病が京都で大流行。
白河上皇でもどうにもならず
嫌うようになった。

双六のサイコロ

Cukierek / Pixabay

平安京で博打が大流行していました。
治安がどんどん悪化していきます。

白河上皇の思い通りの目が出ないわけではありません

山法師

延暦寺の僧兵のことです。
僧兵はしばしば朝廷に強訴し、
白河上皇はそれを嘆きました。

大河ドラマでの白河上皇

大河ドラマ「平清盛」で、
伊東四朗さんが演じる白河上皇をおいておきます。

Related Posts

コメント

タイトルとURLをコピーしました