白河天皇時代
白河天皇は1072年に即位した後、
1086年に位をおります。
はじめて院政を執り行いました。
(院政についてはのちほど)
法勝寺(六勝寺の1つ)
白河天皇は仏教に篤く、
院政時までに”〇勝寺”を
6つ建立します。
法勝寺はその1つで、
現在の京都市動物園周辺に
一番最初に建立されたものです。
堀河天皇への譲位
白河天皇は子の堀河天皇(ほりかわてんのう)に
皇位を譲って自分は白河上皇になりました。
皇位を降りた人のことを、
太上天皇、略して、上皇といいます。
そして、1086年から、
院政をとり行いました。
摂関政治の時代から
院政の時代になりました。
ちなみに、
堀河天皇は、尊勝寺というお寺を
つくっています。
白河上皇時代
院政とは?-A.上皇の政治-
上皇が執り行う政治を院政といいます。
院政をとる上皇を治天の君といいます。
上皇というのは、
天皇の父、または祖父という立場。
というわけで、
天皇を差し置いて政治を行うわけですから、
専制的な政治を執り行う傾向があったようです。
北面の武士
院を警護するために、
院北面(北面の武士)を設置しました。
○○面の武士
滝口の武士 | 宇多天皇の時代 | 蔵人所が管轄 | 平安時代 |
北面の武士 | 白河上皇の時代 | 院警護 | 平安時代 |
西面の武士 | 後鳥羽上皇の時代 | 院警護 | 鎌倉時代 |
天下三不如意
専制的政治を執り行った
強権的な白河上皇にも弱点が3つあったそうです。
これは天下三不如意(てんかさんふにょい)と
いいいます。
「源平盛衰記」に記されています。
賀茂川
鴨川はよく氾濫したために、
疫病が京都で大流行。
白河上皇でもどうにもならず
嫌うようになった。
双六のサイコロ
Cukierek / Pixabay平安京で博打が大流行していました。
治安がどんどん悪化していきます。
白河上皇の思い通りの目が出ないわけではありません
山法師
延暦寺の僧兵のことです。
僧兵はしばしば朝廷に強訴し、
白河上皇はそれを嘆きました。
大河ドラマでの白河上皇
大河ドラマ「平清盛」で、
伊東四朗さんが演じる白河上皇をおいておきます。
コメント