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平安時代中期

王朝国家の時代と藤原氏と一の家(氏の長者)-律令国家の崩壊前夜-

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奈良時代から、
租庸調・雑徭といった税制がありました。

https://歴史総合.com/%e5%be%8b%e4%bb%a4%e5%9b%bd%e5%ae%b6%e3%81%ae%e7%a8%8e%e5%88%b6/

10世紀以降、あらたな徴税体制が生まれました。
これを王朝国家といいます。

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藤原氏と氏の長者

摂政・関白についたリーダーを
氏の長者という言い方をします。

資料では摂関家のことを、

  • 一の家
  • 一の所

という言い方をします。

これは朝廷の儀式のときに、
一番目の席についたからです。

藤原氏と氏寺・氏神・大学別曹

藤原氏の氏の長者は、

  • 藤原氏の氏寺……興福寺
  • 藤原氏の氏神……春日大社
  • 藤原氏の大学別曹……勧学院

の管理もしました。

殿下渡領

氏の長者が代々子々孫々伝えていく土地を
殿下渡領でんかのわたりりょうといいます。

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陣定

摂関政治の時代でも、
すべての権力は藤原氏に掌握された訳ではありません。

政治はあくまでも
太政官の公卿たちが話し合って決めました。

この話し合いを
陣定じんのさだめといいます。

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政所

平安時代の政治家の政治事務所として
政所まんどころというものがありました。

これは私的な事務所のようなものです。

この政所の職員を家司けいしといいます。

政所の文書を政所下文まんどころくだしぶみや御教書ごきょうじょといいます。

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