徳川家康織田信長戦国武将

清洲同盟締結-天下統一へ向けて織田信長と徳川家康(松平元康)の関係は強固に

スポンサーリンク
この記事は約2分で読めます。

さてさて、大河ドラマで需要がありそうな、
清洲同盟の記事も書いていきますよ。

きっと戦国時代が
舞台になる度にアクセスが稼げる記事になるでしょう。

スポンサーリンク

桶狭間の戦いの復習

1560年5月19日、
今川義元が織田信長に倒されて討死します。

桶狭間の戦い-今川家の真の狙いは?信長は何故勝った?-

でも、お伝えしましたね。

徳川家康は、岡崎城に入りました。

徳川家康(松平元康)と桶狭間の戦い-岡崎城への13年ぶりの帰還と松平氏の独立-

そこで、今川氏から松平氏は独立する形になります。
家康としては急転直下で、実際、ことを固めるのに、
数年はかかりました。

松平氏と今川氏の断絶

徳川家康の母・於大の方の兄である、
刈谷城主・水野信元は今川氏と断交して織田氏と結ぶように進言しました。

徳川家康(竹千代)の誕生-竹千代の母・水野於大と松平氏と水野氏について-

水野信元は家康に織田氏との縁を斡旋します。

家康も対等同盟とすることを条件に、
清須同盟を飲むのでした。

でも、名目の話で、
実際はほぼ織田氏に従属することとなります。

清須同盟の締結。

1562年1月15日。
太陽暦なのであれですが、
ちょうど、1月15日は家康と瀬名姫の婚姻の日と同じ日になりますね。

徳川家康(松平元康)と今川義元の姪の築山殿(瀬名姫)との結婚と関口氏

岡崎城主である松平元康(21歳/のちの徳川家康)は、
織田信長(清須城主(当時の織田氏の本拠地/29歳) )の元を訪ね、
清須同盟が成立したと言われています。

有名なセリフとして、
織田信長の
「元康は東へ行け。俺は西へ行く。」と
語ったと伝説的に伝わっています。

信長と家康の子ども同士の結婚

1563年3月2日。
家康の嫡男・松平信康と信長の娘・徳姫(五徳)の婚約と相成りました。

2人ともまだ5歳でした。
家康が17歳の時の子と、信長が25歳の時の子になります。

結婚は1567年5月27日、
同級生だった二人は結婚します。
当時は2人ともそれでも9歳でした。

徳姫は松平氏へのスパイとしても
役割を担うのです。
まだ若いと言って油断してはなりませんでした。

清須同盟とその後、

家康は織田氏という安全地帯を手に入れ、
また、武田氏とも友好を結び、
有言実行で東の今川領へと侵攻します。

この清須同盟は
織田信長が亡くなる本能寺の変まで続きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました