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清王朝の衰退

清王朝の軍事費増強と官僚の腐敗による衰退

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本は親中路線に進むようなので、
日中友好を目指して、日中が主にイギリスやロシアによって滅茶苦茶になった歴史を見ていきたいと思います。

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王朝の衰退

清王朝の軍事費増強

18世紀後半の清王朝の最後の名君、
乾隆帝けんりゅうてい時代にチベットやジュンガル部(≒新疆ウイグル)を征服します。

中国は漢王朝の時もそうですが、
基本的に征をすると、軍事費の増強で国が悪化し、
滅亡するというサイクルを送っていますね。

乾隆帝の頃には、中国は軍事費がかさみ、増税を国民に押し付けました。

清王朝の官僚の腐敗

また、官僚も宦官(ペスを切断し、去勢した男性)たちが、外戚政治によって中国の官僚制度も腐敗します。官僚たちも血縁主義に陥り、官僚の家じゃないと、官僚になれない国になっていきました。

清王朝の貧富の格拡大

さらに、社会は貧富の差が拡大しました。
官僚や地主、豪商には土地が集まるものの、
中小農民は土地を売って、都市部に出稼ぎ労働者として働くようになりました。

清王朝の食料不足

さらに、人口は爆発的に増加し、
1人あたりの土地は小さくなり、
土地は狭くなり、食料も不足するようになりました。

清王朝の国民の生活は困窮していきました。

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抗租・抗糧

清王朝の国民は地主に小作料を払わないこと、国家に税を納めないことで抵抗しました。

抗租

租税に抵抗するという名前の通り、
土地代を払わないことを抗租といいます。

抗糧

当時の税金は食料だったケースも有り、
食糧を国には納めないぞということで、
国家に税金を納めないことを抗糧といいます。

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