ここで、陸軍大臣を歴任してきた、
東條英機が内閣総理大臣として登場します。
東條英機は内大臣・木戸幸一の推挙で総理大臣になりました。
帝国国策遂行要領
アメリカからハル長官からハル・ノートで回答を得ました。
- 満州を含む中国大陸、フランス領インドシナからの全面撤退
- 日独伊三国軍事同盟の否認
日本が飲めないと分かっている上で、
これらの条件をアメリカは要求しました。
このハル・ノートを、
大本営政府連絡会議は最後通牒とみなし、
1941年12月1日の御前会議で、
日本はアメリカ・イギリス・オランダへの宣戦布告を決定しました。
『帝国国策遂行要領』(1941)とハル・ノートと最後通牒-日米決戦前夜-
太平洋戦争(1941-1945)
1941年12月8日、
大日本帝国陸軍によるマレー半島上陸、
大日本帝国海軍によるハワイ・真珠湾奇襲攻撃によって、
太平洋戦争へと入っていきました。
中国だけではなく、欧米まで敵に回して
大日本帝国は狂暴化していきました。
太平洋戦争はミッドウェー海戦までは日本優勢でしたが、
ミッドウェー海戦でのアメリカ勝利後はアメリカの反攻が続いていきました。
翼賛選挙
1942年、
戦争中でも選挙は行われました。
翼賛政治体制協議会は、
協議会の推薦候補と非推薦候補に分けました。
推薦候補は軍国主義を認める人たち、
非推薦候補は軍国主義に抗う人たち、
結局、
466人中381人が推薦候補、
85人が非推薦候補になった。
民主主義国家で戦争を選んだのは国民だった。
大東亜会議
大日本帝国は親日的な海外の人たちを集めて、
大東亜会議を開催し、
東條英機が中心に立ち、
色々なアジアの首脳と横に並んで写真撮影しました。
こうして、
八紘一宇つまり、
太平洋戦争の目的は
「大東亜共栄圏の建設にある」と
改めて確認しました。
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