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軍国主義の時代

第二次近衛内閣の成立と日独伊三国軍事同盟

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ドイツ礼賛の動きが活発化していったのであります。
そのような中で大戦不介入の方針を大転換して、
ドイツと軍事同盟を結び、
インドシナなど南方に進出し、
日本の勢力圏におこうとしたのであります。

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米内光内閣の倒閣と第二近衛内閣の成立

陸軍の圧力で、米内光政内閣に対して陸軍大臣を出しませんでした。
陸軍大臣が出せないので米内光政内閣は倒閣。

かわってプリンスの第2次近衛内閣が成立。

第二次近衛内閣は外務大臣は松岡洋右、
陸軍大臣に東條英機を用したのであります。

バリバリの対米強行として知られています。

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日独伊三軍事同盟(1940年)

まで日独伊三国防共協定が結ばれていましたが、
1940年、日独伊三国軍事同盟に発展しました。

アメリカを仮想敵国とした攻守同盟で
東京・ベルリン・ローマ枢軸が軍事的に固まったのであります。

サイドは独ソ不可侵条約もあり、対ソ連から対米へと軸足をうつそうとしました。

またヨーロッパでのドイツ・イタリアの優位性を、
アジアでの日本の優位性を認める地位協定もありました。

また、戦っていない国に宣戦布告された場合
互いに政的軍事的に援助しあるものでした。

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