軍国主義の時代

日本のドイツ礼賛の風潮とドイツ熱の高まり

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第二次世界大戦のドイツ勝利?の観測

1940年6月、ドイツの電撃戦による軍事的優勢が続くと、
日本国内にはイギリスもまもなく屈服して、
ドイツの勝利で第二世界大戦は終わるという
観測が広まったのであります。

東京朝日新聞(昭和15年6月29日)の記事

「ドイツの本格的対英攻撃が伝へられ、その時期については早ければ1ヶ月以内、おそくとも夏中には着手するだろうとは言はれる。之に対し英国は仏国から遁れた海・空軍と自国のそれを以って必死の抗戦をするだろうと做すのが一般の常識であるが、然しその抗戦の結果は独軍を撃退し得べしと信ずるものは殆いない。(中略)そこで残された途として英本土が攻略されない前適当な時期に手を挙げて、和平工作に出づるのではないかとの観測が成り立つ。」

東京朝日新聞(昭和15年6月29日)

原田熊雄「西園寺公と政局」

日本の新聞がドイツびいきすぎる点を批判して、
対米英協調の必要性を説き、


「差し当たってドイツが戦勝国となるやうに見えるかもしれないけれども、
しかし、結局はやはりイギリス側の勝利に帰すると自分は思ふ。」

原田熊雄「西園寺公と」

新聞と西園寺

新聞の評論が見当はずれだったのに対し、西園寺の見通しは誠に的確だったのでありますが、当時ドイツ熱に浮かされていた大衆の人々からは西園寺の意見は保守的な老人の戯言として大日本帝国では参考にされることがなかった。

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