軍国主義の時代

独ソ不可侵条約と平沼騏一郎内閣総辞職「欧州情勢は複雑怪奇」

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日独伊三国防共協定を結んでいたのであります。
共産党のレッドウェーブから自国を守ろうと
三国で確認し合ったのでありましたが……。

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独ソ不可侵条約の締結

1939年8月23日、独ソ不可侵条約が締結されました。

第2次ノモンハン事件の最中の出来事でした・

日独伊防共協定を結んでいたはずのドイツが、
あの共産党が率いていたソビエト連邦と条約、
それも不可侵条約が結ばれたことは
日本にとってまさに驚天動地の出来事でした。
日本はノモンハン事件で、満蒙国境でソ連軍と戦っていた最中の出来事でした。

平沼騏一郎内閣総辞職

かくして、
そのような中、
日本は大混乱に陥ります。

平沼騏一郎は逃げ出した訳ではなく、
独ソ不可侵条約の責任を取って、
1939年8月29日、朝日新聞にも、
総辞職したということが書かれています。

独ソ不可侵条約から数日後、
ドイツによるポーランド侵攻がはじまる第二次世界大戦の数日前の出来事でした。。。

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