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ローマ世界とキリスト教の成立

ローマ帝国(元首政)

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オクタウィアヌス
前27年 元老院はアウグストゥス(尊厳者)という称号を贈る。
自らはプリンケプス(第1人者)と称し、元老院と共同統治のを取り、
プリンキパトゥス(元首政)を開始した。事実上は帝政。
「余は権威において万人に勝りしも公職にある同僚たちを凌ぐ権力は持たず」と明。
9年のトイトブルクの戦いウァルス将軍率いるローマ軍はゲルマン人に完敗した。
アウグストゥスの死後、地位は養ティベリウスに受け継がれた。
→共和制は二度と復活しなかった・・・。
アウグストゥスから賢帝代末期にいたるまで
は平和を享受し、ローマの平和(パクス・ロマーナ)と呼ばれた。
ネロ
ストア派のセネカを家庭教師としたが彼に自殺をじ、
64年のローマの大火で犯人としてキリスト教徒の迫害を行った。
五賢帝
最初の皇帝は元老院出身ネルウァ帝である。
2番目のヤヌス帝はイベリア半島出身で、
アルメニアとダキアを属州にし、
帝国の領土は最大となった。
3番目のハドリアヌス帝はブリタニアに長を築いた。
4番目のアントニヌス・ピウスは公正寛大な統治を行った。
5番目のマルクス・アウレリウス・アントニヌス
哲人皇帝とも呼ばれ、ストア派の哲学者で、
自省録ギリシア語で書いた。
当時の中国では大秦王安敦と呼ばれた。
カラカラ帝
212年アントニヌスにより、帝国全土の全自由民にローマ市民権を付与した。
軍人皇帝時代(235~284)
各地の軍団が皇帝をたて抗争。
軍人皇帝ウァレリアヌス帝はササン朝のシャープール1世に捕らわれた。

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