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ローマ世界とキリスト教の成立

エトルリア人と英雄ロムルス王のローマ建国、そして帝国の誕生へ

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ローマ世界とキリスト教の成立
ピエトロ・ダ・コルトーナ「サビーニ女の略奪」
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イタリア半島最初の文明(民族)

イタリア半島における最初の文明は、ヴィラノーヴァ文化を生み出したエトルリア人と、紀元前9世紀に植民したギリシア人によってもたらされました。エトルリア人の起源の詳細はわかっていませんが、イタリア半島の先住民族と移住民族の混交だと言われています。彼らはウェイイやタルクィニアなどの都市を繁栄させ、当初は王政でしたが後に貴族寡頭政へと移行し、都市連合を形成しました。彼らの持つ高度な儀式や文化は、そのまま後のローマへと受け継がれていきます。

エトルリア人

起源の詳しいことはわかっていないが、イタリア半島の先住民族と移住民族の混交と言われる。
ウェイイやタルクィニアなどの都市が繁栄。
エトルリアは最初は王政だったが、貴族寡頭政に移行し、都市連合形成。
彼らの儀式などはそのままローマに受け継がれた。

エトルリア人のローマ支配

紀元前7世紀末から紀元前6世紀ごろ、ローマはエトルリア人の支配を受けます。エトルリア人はカンパニア(ナポリなどのイタリア半島南部地域)を支配するための拠点を必要としており、村落同盟を基盤としていたローマを村から本格的な都市へと作り変えていきました 特に第6代セルウィウス・トゥリウス王の統治下では、都市に城壁が張り巡らされ、藁葺き屋根の木造小屋は石造りの家へと取って代わられました。泥沢地は大下水渠(クロアカ・マクシマ)によって排水され、フォロ・ロマーノ(フォールム)が建設されるなど、急速にインフラが整備されました。

第6代セルウィウス・トゥリウス王の統治
  • 都市に城壁が張り巡らされる。
  • 石造りの家が、藁葺き屋根の木造小屋に取って代わる。
  • 泥沢地が大下水渠(だいげすいきょ/クロアカ・マクシマ)によって排水され、フォールム(フォロ・ロマーノ)が建設された。
エトルリアの衰退

紀元前5世紀、南ではギリシア人に襲われ、北ではケルト人のパダノベネタ平野侵攻の危機にさらされ衰退。ローマはタルクィニウス王家に代表されるエトルリア人の支配が終わった。

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ローマの始まり

紀元前753年、ローマはティベル川流域に住むイタリア人の一派、ラテン人の集落として始まりました。伝説ではウェルギリウスの詩『アエネーイス』において英雄ロムルスが建国したとされています。初期のローマは男ばかりであったため、子孫を残すべくサビニ人の女の略奪が行われました(ピエトロ・ダ・コルトーナの絵画でも有名です)。その後、ローマ人とサビニ人の戦争を経て、女たちの仲裁により両者は和解し、二王並立による部族の融合が果たされました。 考古学の観点からも、パラティヌス丘から紀元前8世紀半ば以降の最古の住居跡が発見されており、紀元前753年という伝説的な建国年を裏付けています。しかし、当時のローマはまだ掘っ立て小屋が集まるだけの村落に過ぎませんでした。

ピエトロ・ダ・コルトーナ「サビーニ女の略奪」

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パトリキとプレブス

初期のローマ社会は王政でしたが、人々は**パトリキ(貴族)とプレブス(平民)**に分かれていました。パトリキは神話的血統を誇るゲンテス(最も有力な氏族)のなかでも頭角を現したエリート中のエリートであり、クリエンテスと呼ばれる庇護民(半自由民)を使って農耕や戦いを行わせていました。一方で、プレブスは平民とはいえ決して隷属的な農民ではありませんでした。

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元老院と民会

王の政治を支える機関として、ローマの有力者100人を集めて作られた「王を補佐する機関」である元老院が存在しました。また同時に、王を選出し、王が決めた政策を承認する機関として民会も生まれており、後世のローマ政治の基礎がこの時期に作られていました。

元老院

元老院とは、ローマの有力者100人を集め作った「王を補佐する機関」のこと。(最初の元老院)

民会

民会も生まれていた。民会は王を選出し、王が決めた政策を承認する機関のこと。

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