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ウィーン体制

ギリシア独立戦争~甘やかされた支援とウィーン体制の動揺~

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キオス島の虐殺ウィーン体制
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私が書きたかったテーマの一つ。ギリシアがなぜ今デフォルトの最中にあり、ここまでドイツを筆頭とするヨーロッパ諸国を頼りにしているか、その根幹は恐らくこの独立の仕方によるものであろう。

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背景

どこの領土だったか?

16世紀以来オスマン帝国の領土であった。
ギリシアはオスマン・トルコ帝国皇帝の正統の臣下でありました。

ギリシアにおけるナショナリズムの高揚

19世紀初め、
ロシア軍のギリシア人将校
アレクサンドロス・イプシランティ(A.Ypsilanti/1792~1828)率いる
「ヘタイリア・フィリケ(Hetairia  Philike/)」という
商人たちのギリシアの愛国主義的秘密結社が結成される。
ギリシアの独立を目指した運動はやがて1821年、武力闘争へと発展する。

「キオス島の虐殺」

オスマン帝国はエジプトの協力を得て、キオス島(シオ島)の虐殺事件など徹底的な力による弾圧を行った。

ドラクロワの絵画

フランスのロマン派の画家・ドラクロワ(Delacroix/1798~1863)は「キオス島の虐殺」を描いて世論の独立支持に貢献した。

キオス島の虐殺

『キオス島の虐殺』(『シオの虐殺』)~ドラクロワ~

 

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他国による動き

英仏露の動向

先の虐殺事件を名目に東地中海域への進出を狙ってイギリス・フランス・ロシアの3国が独立支援へと動く。カニングの仲介のもと同盟を結成し、対トルコ戦争へ突入します。

義勇軍

「バイロン」の義勇軍

『チャイルド=ハロルドの巡礼』の作者で知られる
イギリスの詩人・バイロン(Byron/1788~1824)は、
政治的自由に対する熱烈な信条を持っていた。
オスマン帝国と戦うためにギリシアに旅立つも、
到着した数ヶ月後に熱病で1824年4月19日病死する。

ユーゴーの支援

フランスの文豪・ユーゴーが支援にまわります。

ナヴァリノの海戦-Battle of Navarino-

1827年の英仏露の三国艦隊が、
ナヴァリノの海戦でトルコ・エジプト連合艦隊を潰滅的においやります。。
ギリシアの独立が決定的となる。
オスマン帝国側の艦隊数は倍以上の規模ではあったものの
近代化武装をした相手側には到底かなわなかった。

墺の動向とウィーン体制の亀裂

一方オーストリアはどうしたかといえば、オスマン帝国の支援にまわった。なぜなら、オーストリアは多民族国家である。ナショナリズムの高揚を最も恐れる国であった。こうしてウィーン体制に亀裂が走るのである。

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ギリシアの独立

アドリアノープル条約

1829年、アドリアノープル条約でトルコはギリシアを独立をついに承認することとなる。

内容

  • ボスフォラス海峡とダーダネルス海峡の通行券の確保
  • 領土の割譲
  • ギリシアの独立承認

ロシアにカフカス南部を割譲。
さらに三国同盟条約やロンドン議定書に同意するという形をとり、
ギリシアの独立を承認させた。
また、バイエルンの王子(バイエルン王ルートヴィヒ1世の息子)が、
ギリシアの君主として迎えられ、
ギリシアでは議会制の立憲君主制が取られるようになる。

ロンドン会議

アドリアノープル条約の翌年である1830年、ロンドン会議が開催される。国際的に認知され、承認される。

ギリシア王国の成立

バイエルンの王子オットーが国王として迎えられ、ギリシア王国が成立する。しかし領土はペロポネソス半島周辺に限定されたため、ギリシア人のあいだには不満が残る。

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支援理由の根源

なぜここまで篤く支援をするのだろうか。その根幹をなすものにヨーロッパ人の中には、「ギリシアは文化の故郷」という意識がある。キリスト教にしろ文化にしろ、それらは全てギリシア文化が発祥である。ギリシアに住んでいないヨーロッパ人にはギリシアには憧れがあった。そのためにギリシアのために、わざわざ支援するのだ。
ギリシア人の中にもどうせ他国が助けてくれるという考えを持っている。そういう訳で2010年代のギリシア・デフォルト危機は発生しながら、未だに他人頼りのギリシアは回復できないのである。

コメント

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