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多民族国家

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ウィーン体制

ギリシア独立戦争~甘やかされた支援とウィーン体制の動揺~

16世紀以来、オスマン帝国の領土だったギリシアでしたが、ナショナリズムが高揚して、19世紀はじめに独立運動がおこりました。そこへロシア・イギリス・フランスが東地中海地域への進出を目論んで独立支援にまわり、ギリシア独立戦争が勃発します。
ウィーン体制

ウィーン会議とその体制-ナポレオン戦争以前に戻そうぜ!-

ウィーン会議背景ヨーロッパ中を蹂躙したナポレオンがエルバ島に流されたあと、1814年4月に第1次パリ平和条約を結ぶ。しかし、これだけでは国際秩序は回復せず、欧州の混乱を終わらせ、新秩序を構築するため、1814年9月から1815年6月にかけて...
古代オリエント世界

ローマ軍を撃破した最強戦法「パルティアン・ショット」!パルティア王国とヘレニズム諸国の興亡

アレクサンドロス大王の死後、広大なオリエント世界は後継者たちによって分割され、イラン高原からメソポタミアにかけては**「セレウコス朝シリア」が支配しました。しかし、巨大帝国の力はやがて衰え、ギリシア系の「バクトリア」や、遊牧民が建国した「パ...
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