清王朝の衰退

アヘン戦争の原因-紅茶の台頭と三角貿易とアヘン取締と東洋蔑視-

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清王朝の衰退
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昔は完全にイギリス派でした。
イギリスはおしゃれで紳士的な国だと思っていました。

しかし、EU離脱以降、
イギリスは分裂のおそれもあり、
もうイギリスの役目は終わるのかなぁという思いです。

これからはリーダーの国というものは無くなって、
アメリカもロシアも中国も分解されて、
州や省単位になるのかなぁと。

今日は日中国交正常化50周年です。

日清戦争は、中国にも日本にも接近した国がありました。
イギリスです。

イギリスが中国の市場欲しさに、
周辺の独立戦闘国家として存在していた、
日本に資金援助して、日本にも中国にもお金を出資して、
勝たせたい日本に多めに出資。

日清は日清貿易でお互いWIN-WINの関係だったのに、
イギリスがやってきてめちゃくちゃになりました。

負けて欲しい中国には、借用書だけ残る仕組みにしていました。

イギリスは例えるならば、
親しい関係のところに引っ越してきた新しい友人で、
しかも日本や中国に見せつける形で
日英・中英では馴れ馴れしく見せつけてくる新友達みたいな形です。

地球史上の死の商人イギリスと日本中国との関係。

イギリスと中国の歴史について見ていきましょう。

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イギリスの紅茶と喫茶ブーム

いきなり何を書いてるんだと思いがちですが、
イギリスの紅茶文化は多くの歴史を変えました。

七年戦争後の植民地アメリカと本国イギリスの対立

などでも書いたボストン茶会事件もそうです。

18世紀半ばには、
オランダの香辛料のブームから、
イギリスのお紅茶ブームの発生で、
世界覇権国家はオランダからイギリスへと徐々に移っていきました。

オランダはインドネシアの香辛料地帯を抑えておけば安心だと油断していたら、世界の需要がお茶に変わるとは想定外だったようです。

で、イギリス東インド会社が力をつけていきます。

中国紅茶の需要拡大

中国ではイギリスの喫茶ブームを受けて、
お紅茶大ブームが起こります。

世はまさに大紅茶時代となりました。

茶を作って売れば、イギリスが引き取ってくれる。
しかも銀をいっぱい渡してくれていました。

この頃は、中国は冊封体制で、
三跪九叩頭の礼をしなければならないほど、
厳しい貿易体制で東洋の文化になれないイギリス人は「変なの」と東洋蔑視をしていました。

東洋の地べたに座る文化と西洋の椅子の文化は相容れなかったのです。

中国唯一の貿易港・広州

日本の長崎・出島のように、
中国では広州でしか貿易ができませんでした。

イギリスの東インド会社は、
中国唯一の貿易港・広州で、
大量の中国茶を購入。

東インド会社の大流出

東インド会社は中国茶を独占していきます。
ヨーロッパでは中国茶ブームが起こりまして、
イギリスがほぼ専売特許で独占するのです。

その代わり、東インド会社は銀で支払いました。
イギリスから中国へ銀が大流出していきます。

産業革命①~何故イギリスで?~

でも紹介しましたが、
綿織物は労働者をこき使えば、
作りたい放題のイギリスは銀の支払いが苦しくなって、
代わりに産業革命で成し遂げた綿製品を輸出しようとしましたが、
工場でできた当時のシンプルで粗悪な綿製品はほぼ売れず、
中国人は国産の綿製品を買い続けました。

結果的に失敗したイギリスの商売人たち。
次の手段としてアヘンを思いつきます。

三角貿易と中国へのアヘン流入

イギリス商人は思いつきます。

「そっか。」

「インドに綿織物を売りつけて、
インドからアヘンを中国に売りつければいいんだ」

と。

中国はアヘンの対価として銀をインドに払い、
インドはイギリスに綿織物の対価として銀を支払ったのです。

そうして銀のギンギン吸収サイクルは、
中国側からイギリス側へと移っていきます。

今度は中国からイギリスへ、
銀が大流出
していきます。

そうして、中国では、
アヘン天国となって、
阿片中毒化したゾンビ映画のような住人たちで溢れかえります。

「アヘンをくれ・・・もっとアヘンをくれ・・・」
といった人たちで街中・国中あふれかえるようになります。

イギリスの自由貿易の打診

さてさて、中国中を阿片中毒患者だらけにした
イギリスは

「これはチャンス!!!土下座はもう嫌だし、中国と対等に貿易したい」
と考えます。

イギリスは商人マッカートニーを派遣しますが、
中国は冊封体制継続の意思を示し、断固拒否。

アヘン取締の歴史

ゾンビみたいな住人があふれかえるようになった、
清王朝はアヘンの取締を行います。

「阿☆片☆最☆高」な住人たちで、あふれかえり
仕事もせず税収は減るばかり。

家嘉帝のアヘン輸入禁止処置

乾隆帝の死後即位したのは家嘉帝でした。

家嘉帝はアヘンの禁輸措置を行います。

しかし、結果的にアヘンの密輸が横行し、
「アヘンをもっとくれー」と、
アヘンゾンビたちがイギリス商人と交渉した結果、
さらにぼったくられて売りつけられます。

結果として銀はもっと流出するようになってしまいました。

銀の流出量が増えたため、
銀のデフレ化が進み、銅のインフレ化が進みました。

銀の金融引締を行ったのと変わらないのです。

銀のデフレにより、銀で生活している人は、
だんだんと仕事している割に銀のデフレスパイラルに突入。
銀の価値が高騰しているため、
最初のうちは良かったのですが、
だんだんと「あれ?収入が減ってない?」
みたいになり、
「銀貨だから銅貨みたいに売れない
高くしないと物の値段と合わない
いままで通り売ってたら収入がなんか減ってるよ。。。」
な状態になっていきました。

で、ますます税収は減るばかり。

道光帝のアヘン厳禁令

道光帝はアヘン厳禁令を発令。
林則徐を欽差大臣に任命し、
広州のアヘン取締を強化します。

アヘンが入ってくるのは
広州しか考えられませんでした。

林則徐はくんくんしながら
イギリス商人やイギリス領事を監禁。

アヘンは没収して、
燃やしました。

かなりの強行策をとりました。

次回、

イギリスの怒りを買った中国は、
イギリスとのアヘンをめぐる
アヘン戦争勃発。

民主主義のイギリスで、
多数決でちょっと多かったぐらいで
中国攻め決定

どっひゃー。

乞うご期待。

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