古墳時代 ヤマト政権と私地私民制社会 2019年9月30日 ヤマト政権当時の社会は、 私地私民制の時代でした。 朝廷の直轄地 屯倉みやけ 朝廷の直轄民 子代・名代こしろ・なしろ 豪族の私有地 田荘たどころ 豪族の私有民 部曲かきべ 朝廷の直轄地である屯倉を耕したのは、 子代・名代ではなく、田部たべです。... ベルヤン
古墳時代 32日本発掘 日本最大の古墳・仁徳天皇陵発掘調査開始 宮内庁と堺市が共同で 2018年10月23日 日本最大の前方後円墳として知られる仁徳天皇陵。 墳丘の長さはおよそ500mあり、 三重の堀で、囲まれています。 今回の調査は 2つある堤の内側の第一堤で行われ、 南東部の3箇所で幅2mの溝を掘り、 埴輪が埋まっている位置を確認して、 今後の保全計画づくりに活かします。 宮内庁徳田誠志陵墓調査官 トレンチ(溝)の設定に入... ベルヤン
古墳時代 日本天皇戦い発展 ヤマト政権の発展~磐井の乱・二朝並立を乗り越えて~ 2015年1月1日 大伴氏の失脚 大伴金村(おおとものかなむら)は武烈天皇の死後、 507年に越前(福井県)から応神天皇の5世孫と自称する それまでの大王との血縁が怪しい 「男大迹王」(おおどのおう)を迎えて即位させ、 ヤマト政権の血縁断絶の危機を乗り越えようとした。 継体天皇の由来はヤマト政権の体制を継続させるという意味。 512年伽耶... ベルヤン
古墳時代 周遺跡土器生産 大陸文化の受容と信仰 2014年12月31日 渡来人による新技術伝来 古墳時代の中期には朝鮮半島からの渡来人によって、大陸から鉄器の生産、須恵器の生産、機織り、土木技術などの種々の技術がもたらされた。 応神天皇と渡来人 秦氏の祖 弓月君 秦(はた)氏は養蚕・機織りを伝えた渡来人である弓月君(ゆづきのきみ)を祖に持つ。 東漢氏・漢氏の祖 阿知使主 東漢(やまとのあや... ベルヤン
古墳時代 中国大陸地方天皇 ヤマト政権の成立と政治制度 2014年12月17日 ヤマト政権とは古墳時代前期に畿内で形成された政治連合。政治連合の首長は「大王」 (おおきみ)。 勢力範囲 雄略天皇が中国の宋の皇帝に送った上表文や、千葉県稲荷台1号墳から出土した鉄剣や、埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣、それに熊本県江田船山古墳から出土した鉄剣に刻まれている銘文から東国から九州まで支配していたと考えられ... ベルヤン
古墳時代 周遺跡日本原則 古墳の形状と古墳の変遷 2014年12月11日 古墳とは、身分が高い首長たちの墓。 古墳時代は3世紀から8世紀始めまでであり、一般に前期中期後期で分けられる。(3世紀後半を出現期、7世紀~を終末期と呼ぶ場合もある。終末期は飛鳥時代・奈良時代と重なる)古墳は墓式で言えば、高塚(たかつか)式墳土。土を盛り上げた、小山のような丘を備えた墓。斜面は葺石(ふきいし)で覆われて... ベルヤン
古墳時代 中国遺跡2日本 5世紀の日本と倭の五王 2014年12月5日 5世紀の日中関係 『宋書』倭国伝 (そうじょ/わこくでん) 5世紀の日本のことが書かれてある中国の歴史書。宋書を編纂したのは、沈約(しんやく)。 倭の五王 讃・珍・済・興・武のこと。次々と中国へと使者を派遣した。 済は允恭天皇(いんきょうてんのう)、興は安康天皇(あんこうてんのう)、武は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう/ワ... ベルヤン
古墳時代 中国滅亡北方日本 4世紀の日本と朝鮮半島 2014年12月1日 中国では三国時代を経て国内統一に成功した晋が4世紀初めに北方民族(五胡)の侵入を受け、南北朝時代となったころの話。 ヤマト政権と朝鮮半島 高句麗好太王碑文 これは碑石であって文書ではない。石に刻まれた文字。石や金属に刻まれた文を金石文という。高句麗好太王碑を建てたのは高句麗の長寿王。長寿王は好太王(こうたいおう・広開土... ベルヤン