前回の普通選挙の実施で、
日本の最初の普通選挙実施(1928年)
...
無産政党が議席を8つも伸ばしたとお伝えしました。
今回はそれに脅威を感じた田中義一により、それらが弾圧させられるという事件です。
三・一五事件の背景と内容
普通選挙実施にともない、無産政党が議席を獲得しました。
しかし、共産党系の活動が政府を驚かせ目立ったために、
警戒した田中義一により1928年3月15日、治安維持法を適用して共産党員とその支持者である約1600名の大量検挙が行われました。
さらに緊急勅令をだして、最高刑を死刑としました。
三・一五事件で解散させられた3つの組織
三・一五事件をきっかけに解散させられた組織が3つあります。
- 日本労農党
- 日本労働組合総評議会
- 全日本無産青年同盟
の3つが1928年4月解散を命じられました。
特別高等警察の全国に設置
この三・一五事件をきっかけに特高警察が全国に設置されました。
憲兵には思想係も置かれました。
ちなみに、特高警察がはじめて設置されたのは、天皇に直訴したので有名な大逆事件がきっかけです。
四・一六事件
三・一五事件の翌年の1929年、また共産党員が検挙されました。
ちなみに山本宣治は1929年の3月に右翼に殺されています。
三・一五事件と四・一六事件の結果
日本共産党は厳しい弾圧により大きな打撃を受け、
さらには内ゲバ(内部抗争/よくある左翼の暴力的分裂)が起こり、
労働者・農民を十分に組織することはできませんでした。
左派の衰退により中間派が台頭するようになりました。
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