モン人とは?
ミャンマー南部・タイ中部西部などに住んでいた民族のこと。
チャオプラヤ川(メナム川)一帯にはモン人が住んでいた。
ドヴァーラヴァティー王国
ドヴァーラヴァティー王国はそのモン人の国。
ナコンパトムが主邑であった。
モン語を使用し、インド文明の影響受けていた。
6~8世紀ごろに栄えたというのが今のところの説である。
玄奘がドヴァーラヴァティー(堕羅鉢底)に対して
「大唐西域記」で言及するほど栄えていた。
プラパトン寺院
仏教(上座部仏教)が栄え、
プラパトン寺院は最も古いドヴァーラヴァティーの寺院(ストゥーパ)で、
よくドヴァーラヴァティーの史料が出土している。
ドヴァーラヴァティー様式といわれる仏像美術なども出土。
9世紀、東にクメール人のアンコール朝ができ、
コーラート高原を通りぬけ、チャオプラヤー川の中下流域に進出。
ドヴァーラヴァティーは衰退。
ハリプンジャ(ハリプンチャイ)
8世紀ごろ、ラヴォ(現ロッブリー)からの移民によって、
チャオプラヤー川上流のランプーン地方を中心に建国されたモン人の国。
11世紀から13世紀にかけて栄えた。
ドヴァーラヴァティーの衰退後に移り住んだ説もある。
南はアンコール朝と対峙したが、
1292年、ラーンナータイのマンライ王によって北から滅ぼされた。
スヴァンナブーミ(金地国)
スヴァンナブーミとはパーミ語で、
黄金の国や金地国という意味。
ちなみにタイ語ではスワンナプーム王国。
成立の土壌
ビルマからマレー半島一帯はインドからの来訪者の玄関口であった。
紀元後、1~2世紀ごろ、
その来訪者たちがそこで特産品である
貴金属や鼈甲(べっこう)・真珠・香辛料などを持って帰っていった。
インドからの来訪者との交易により、
政策や文化や技術がその辺一帯に持ち込まれた。
そこで、ヒンドゥー教や仏教が受け入れられた。
旧都タトゥン
サルウィン川とシッタン川の両河口近くにモン人の中心地、
旧都タトゥン(スダンマワディー)があった。
タトゥン王国
その後、モン人の中心地はハンターワディ―(バコ―)に移り、
9世紀には首都となった。
このタトゥン王国はインド文明の影響を受け、モン人は東南アジアの先進民族として君臨。
モン人の現在
現在モン人は少数民族として残存している。
コメント