縄文時代の前期はまだ農業が行われていませんでした。
日本で農業が始まったのは縄文時代中期頃と言われています。
定住生活が始まると農業が始まるのか?
農業が始まると定住生活が始まるのか?
そのあたりはよくわかりませんが、
青森県の縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡の発見で、
少なくとも縄文時代は移動生活ではなく、
定住生活だった。
ということが明らかになりました。
今も日本の地方部はほとんど開発されていませんし、
もしかしたら、
考古学的にわからないことがいっぱいあるのかもしれません。
では、
今回は
縄文時代の生活について見ていきます。
縄文時代と採集・狩猟
縄文時代の日本人は、
- 採集
- 狩猟
が基本でした。
採集とは、食べられる果実や採草をとって、食べる生活です。
「この草は〇〇の病気に効く」などは、おそらくこの時代から。
また、毒キノコを食べて死んでいったのもこの時代からでしょう。
多くの人の経験が積み重なって今があるのかもしれません。
狩猟とは、旧石器時代に居た象などは、
一通り狩り尽くしていましたから、
小型の鹿や猪、うさぎなどを捕まえて食べていた生活です。
しかし、縄文人たちはどんどん食べ尽くしていきました。
食料が無くなってきました。
そこで、自分たちが育てることになります。
三内丸山遺跡と定住生活
青森県青森市大字三内字丸山にある三内丸山遺跡の発見によって、
定住生活が行われていることが明らかになりました。
三内丸山遺跡は1992年に野球場を作る事前調査として、
考古学的調査が開始され、
1994年に栗の柱が6本見つかったことから発見された遺跡です。
この三内丸山遺跡は
縄文時代前期中頃から中期末の大規模定住集落が発見されました。
三内丸山遺跡は河岸段丘の上に立地します。
それまでは、
縄文時代は移住生活とされていましたが、
縄文人も拠点としての住居は構えていたことが明らかになりました。
ただ、縄文人は一ヶ所にいたわけではなく、
日本にとどまらず色んなところを、
徒歩や丸木舟などを使って旅していたことが明らかになっています。
竪穴住居
縄文人は竪穴住居、もしくは竪穴式住居に住んでいました。
竪穴住居は農村部では最貧困地域では
鎌倉時代まであったそうです。
竪穴住居の中央には、
炉が置かれて、
上に換気穴が空いていました。
縦と竪の違い
縦は前後に対しての縦、
つまり、どちらかといえば、水平方向の2D空間に対して使う言葉です。
竪は上下左右の方に使う言葉で、
つまり、どちらかといえば、垂直方向の3D空間に対して使う言葉です。
コメント